心象記 201901-202009
炊けた時はピィーと奇声のような音を発して、眠りについた赤ん坊を起こすのに、お米が釜に入っていないと無言を貫くのか。
「閉店」するまで店は稼働していたのである。お客さんを迎え、商品などを通して人と人が交わっていた。
細胞の入れ替えか、新旧混ざった玉ねぎの選別か。新陳代謝、と処理をする。
こちら朝の公園、荒井由実の「中央フリーウェイ」が流れてきた。気持ちいい。しかし、ヒップホップ強化週間。N.W.A に切り替える。
フラッシュバックする記憶やイヤホンから流れてくるあの曲。鳴り止まずに頭をループする。夜に感慨に耽りたくなければ、飲みに歩く、もしくは音を浴びにいく。新しい出会いはいつも新鮮で人生に活力を与えてくれる。
何と一体化、もしくは何に依存するのか。その選択を誤れば、依存は習慣となり生活に組み込まれるのだから、一般的な意味において不幸になりやすいと思う。
ヨブさん、財産と家族を失っても信仰を貫いた人、妻に嘲り笑われるのか。それぐらいが家庭の平穏を保てるのか、一体どうなんだ。
今日は少しネットワークについて調べていた。BorderGatewayProtocol、Interior GatewayProtocol、Autonomous System。拗らせているからと思うが、専門用語かっこいい。
かますぞ、という心意気というか。獅子奮迅。
ただ、分かることと出来ることの溝の深さが恐ろしい。未熟だ、身を委ねる潔さがいる。
イヤホンから耳へErick Saemonの曲が届く。首を振りながらひたすらに闊歩。
どの感情に向き合って、またどの感情に向き合わないのか、向き合うとどうなるのか。
すでに自明のものと思っていたものが、考えてみるとあまり実はよく分かっていなかったりする。
どういった可能性をも秘めているというのは、どこかで諦めているのだろうか。小さくまとまっても仕方のないと思うこと、疑問からの決意は偏った思想を生むだけなのだろうか。
本人の意思とは無関係に、火山の噴火のように、予期せぬ時に。
"春分の日から昼の時間が長くなり夜の時間は夏至にいたって、もっとも短くなる。 その短さ、はかなさを惜しむ気持ちを重ねて夏の夜を呼んだのが短夜という季語である。"
隣の芝は青く見えるが、身近な周囲にたくさん愛が溢れている、花は狂い咲く。未来への想像力と瞬間を積み重ねて。
月曜日、「部屋の豆電球の色は変わるのか?オレンジ過ぎない?」と家内に相談される。「ああ..」と答える。
昨日の夜、外は雨が降っていて、歩いていると溝のような水たまりにがっつり落ちた。
"日々を生きる尊さが感じられるもの"が自分は好きみたい。記憶は定かではなくて、それを形に抽出する。記録に残す。作品というのは、「工夫した記録」という側面があるみたい。
今は4時半、外が明るくなってきた。深夜の作業が押した。深夜の作業は少しワクワクする。夜の作用。そろそろ眠りにつこう。
詩作をしようと思い立つが、夜の公園で蚊に噛まれた。膝がかゆい。これは詩作にとっての盲点。痒みがおさまる頃、一編の詩が降りてくることを願って。まず思索。
佐藤博さんのSAY GOODBYEという曲で小躍りしていると、DJの方に一杯奢っていただいた。なんと音楽的体験。嬉しい。
お昼は同僚の人の"オーストラリアで釣りをしていたら、イカが大量に釣れたけど、ほとんどをハチに食べられていた"という話を聞いた。(ハチってイカを食べるのか)という疑問を抱いていたら、仕事が終わっていた。
家族が寝静まった部屋でひっそりと詩を書く。雨の音が心地いい。完全に触発されている。色んな芸術家に触れる、会いにいきたい。明らかに芸術が一番カッコいいと思う。ひとつの信仰。
そして、本筋と関係ないけど、浅野ゆう子さんの話し方と声がUAさんに似ていると思った。
今回は、アンビエント感とビート感をどことなく意識してつくった。
いきなりトーンが変わるけど、子どもの成長を見守りたいし、久しぶりにイベントに行くと好きな人もいっぱいいて感動的に楽しいし、世の中知らないことだらけだし、まだ全然死にたくない。
おいそれと日々を綴ろうと思いながら、月が変わった。「月が変わって7月よ」というセーラームーンの決めゼリフ"月に変わってお仕置きよ"をサンプリングしたツイートを目にした。月が変わるたびにそのつぶやきを思い出すのだろうか。
知りたいと思う気持ち、動機はそこにあるみたい。