心象記 201901-202009
今日、肩が発火するのかと思うぐらい熱かったので、マッサージにいった。
ギターを弾く振りやら、暦やら季語やらヒトラーとチャップリンやらを調べたりして過ごした。
どんなスプーンを用意してんねんと少し思ったけど、これは少ないのかと、へぇとか気の抜けた返事をしていた。
荒いそのままをなぜ痩せ細ったロウソクのようにするのか。型に勝るは情念か。
二人ともサルヴァドール出身。サルヴァドールはポルトガル語で救世主、つまりキリストを意味するのだそう。
確かに無思考だと善悪に関わらず、エネルギー量の強いものにただ人は吸い寄せられていく。
お土産に東京ミルクファクトリーというお店のクッキーをいただいた。ありがとうございます。美味しくいただきます。
鉄分を取りたい気持ちが増幅し日高屋のレバニラを食べる。Tanya stephensのMVを漁る。酔ってきたせいか、やたらと身に染みる。
青年も女性も同じ穴のムジナであり、人生に捕らえられた人間、君とあなたのような関係なのである。
「引き取りは私が担当します」と言わんばかりの顔で、餌を巣に持ち帰るアリのように道しるべを見失わずに進む。
他者への冒涜、良心の呵責。親しい間柄を修復しようと試みるあなたと遜色なく、さあ、土の墓に埋めてしまおう。決意の朝は寒く孤独で、楽しい。
つまり、揺らぐ波、揺らがない波、サーフボードを持参する必要はなく、海岸からその波をずっと見つめる。やがて海は穏やかになり太陽は月へと変わる。
4.老婆が横切る
綺麗事では語れない生々しさ、自分のどこかにも潜んでいるかもしれないもの。
謎を欲しているのか?
家の扉を開け外に出ると、濁った色の上履のような曇り空が、一面に広がっている。
言葉、細部をみれば微妙に違う赤色だが、それは赤色であり共通的に赤色を想起させる。作者と受け手の認識。
あきらめや卑しさのないトーンで京子は奈美子に言葉をかえす。続けて、記憶をひとつ頬張り、「窓の隙間から入る光みたいね。その傷はいつ頃からあったの」と矢継ぎ早に奈美子に話す。
遠回りのようであり、探求する行為には深い愛情があると思う。
物めずらしい建物はなくとも、連続する造形物を統合してとらえたときに、ひとつの調和となる。
網の目から覗かれたインスピレーション、道路を横断する無数の車と遮断された通信。
私はサンダルを脱ぎ、ベンチの上で胡座をかき、辺りを見回し園内の観察を続ける。描写、風景を言葉にしてみた。
確定させないことで、より原因を緻密に探れたり、自らを省みたりできると思う。
好きこそものの上手なれを考えると、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞が頭に浮かぶ。
自分は誰とも一体になれないのか。人と一体になるにはどうすればよいのか。
にらめっこであった場合、闘技場からの失踪、つまり、天井の不戦勝である。しかし、こちらが首を上にあげれば見事に再入場である。
どう過ごそうと、何を考えようと、夜がくればまた疼く。何かあったような、なんでもないような日に書けるのか。
音は連なり音楽になっていく、愛すべき横軸や縦軸、そばにいる。
断定的ではなく曖昧さを残すことにより、ある種の普遍性を獲得しているのか。普遍なるものは主体の一番奥にあるものと考えていたが、そうではないのか。
昔、撮った写真をみて待つ。