日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

マスクと炊飯器

2020/09/02

 

マスクのヒモがすぐにちぎれる。箱買いしたあるマスクを使っているが、耳に掛けようとすると3回に1回は使用不可になる。予備のマスクを持っていればいいが、外に出かけている時にちぎれると非常に困る。非国民と言わんばかりの白い目、なんと簡単に向けられるのか。


同じタイプのマスクが後50枚ぐらいある。誰かに配るわけにもいかず、使わないのも少しもったいない。ということでしばらく、数枚のマスクを持ち歩く。マスクがないなど用入りの際はぜひお声がけを。3〜4枚は持ち歩くつもりです。(ただ、すぐにちぎれます。)


今日は朝から焼きおにぎりを食べた。醤油がべっとりと塗られた、こんがりとした焼き色。"中はモチッとして外はカリッとしている"という表現は、焼いた後の芳醇なパンなどに用いられるが、焼きおにぎりも同様であるのではないかと訝る。

 

外がカリカリしていることにより、お米というのはモチモチしているのだと再認識できる。固さと柔らかさが交わり合う口の中、噛むとともにそれぞれが移動し、飽きない食感を多分、生む。


一昨日、我が家に新しい炊飯器が届いた。まずは一度、パカッと蓋を開いて閉じてみた。辺りを包むのは新品の気配である。近々、美味しいお米を食べられそうだ。

 

しかし、黙りこくっている。

炊けた時はピィーと奇声のような音を発して、眠りについた赤ん坊を起こすのに、お米が釜に入っていないと無言を貫くのか。

そして、こんなにも横に長い必要はどこにあるのか。

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