昨日、ぐっすり眠ったおかげか体調がすこぶる良い。やはり睡眠は大事と痛感して気が付けば夜更かしする人間。(習性)
今日は取材の書き起こしをした。書き起こしをしてみると取材中に話を聞いている時とはまた印象が違う。普段、いかに会話をニュアンスでおこなっているのかがわかる。言葉の内容だけを捉える難しさ。空間や関係性が会話にはどうしてもひっついて、バイアスが…
さっちゃんが予防注射で発熱のため、りっちゃんの見守り。 昨日も見守ったので、見守りのコツのようなものを勝手につかむ。干渉しすぎない、危険が及ばない限りはある程度は自由に遊ばせる。
さっちゃんが予防注射だったので、家でりっちゃんとお留守番。思い通りにいかないと、はち切れんばかりに怒る。(憤怒。)”台所で水遊びをしたいしたい”は収まったはずなのに、再発、第2期が到来。コップの水を次々と入れ替える作業にはまっているらしい。
物語の描写をどのように捉えているのか。 文字だけしか情報が与えられていない場合は、文章に沿って頭の中で状況を確認する。 描写に合わせて、状況を更新していく。その状況は鮮明にみえるものではなくて、曖昧。文字を視覚的な情報として一度、置換する。…
1 創作の基本、組み合わせの妙。仮説を複合しているということを意識に落とし込まなければならない。その能力が高いと土壇場に強い。点と点が線に、円・面、それらになるということ。凡人は興奮がなければ0に立てない。0に立つとは、説明的であることをあき…
深さ、つまりメタの段階というものがあると仮定して、その層のいずれにアクセスしているのかが関係しているという当たり前のことを考えたが、双方あるいは一方のアングルの切り替えによりおもしろくなるポイントを探すというのも加味しなければならない。(…
やっさんからグレン・サリバン著の『酒が語るアメリカ裏面史』という"酒"の観点で歴史を語る本をいただいたが、同じように"香り"という観点で物事を見つめ直せば、違った感覚に出会えそう...第六感より。
実際に原子力発電所へと働きにいってその様子を記している。"11月24日(火)"という風に日付ごとに小見出しがあり、仕事内容や体調の変化、生活の様子が綴られている。
友達がラインでアマチュアはフランス語で「アマトゥール」で「愛好者」という意味と教えてくれた。アマチュアという言葉は素人というニュアンスとして言われるが、愛好者となると少し胸を張れる気がした。
「 (伝わらなさの、困難と魅力)。」に取材を兼ねて出向いた。中目黒は頻繁に行く場所ではないため、妙に斬新だった。
ある日、朗読する詩人が携わるオンライン番組に参加した。同番組で各々が詩を読んでいる中、朗々としたア・カペラが響き渡った。
今日は何をしていたか、何もしていないか、それさえも特に覚えていないが、本は購入した。積んでは読んで、読んでは積んで、読書の日々。
ペニスとハンモック...この妙なバランスには覚えがある。明治時代の俳人、尾崎放哉の句、『素晴らしい乳房だ。蚊がいる。』を耳にした時と同じ感覚だ。
できることならば、「身体の中のあらゆる血は抜かれ、新発売のポンプで新しい血を注入されている」と思いながら帰り道に歓喜のガッツポーズをとりたい。涙ぐましくもあり、感動は波に揺られて岸に到達するかのごとく、ゆっくりと押し寄せる。
弥生、3月も中頃、気がつけば時計の針は午前6時を指し示し、カーテンの隙間からは少し光が注がれる。麒麟のビールを喉に流しこみ、90年代グラウンドビートの名盤 yo yo honey の voodoo soul のアルバムを耳に入れる。ベースライン、ストリングス、溶けてい…
『回廊日記』 ひげ剃りの角度のあやまりによるものか、無駄に勢いをつけたためか、はたまた、鋭利であることを忘れ気が抜けていたのか。 唇の真ん中の上あたりを切ってしまった。ティシュで抑えるものの血が止まらない。空気に触れていると微妙にヒリヒリす…
改めて分類の例を挙げると、魚を釣ることが趣味の人の「川で鮭をとった」と文を書く人の「川で鮭をとった」は全く違うと言える。
ストレスの発散を作品とするのは、お菓子売り場で子供がだだをこねているのとそう変わりない。そうわかりつつ童心を都合よくとらえ、それさえも人を惹きつけようとする卑しい本能的エンターテイメントとして、全くのごまかしの類と自負しているが、 辞められ…
2021/02/22 二元論的な前提を持つ時点で全く目標の座標に届いていないですが、身体→精神...言語、の順番ではないかと、思う次第です。人によるのか、音楽を続ければ、続けるほど身体が顔を覗かせる。dtmはより精神の要素が強いが、それは自分の中の判断で精…
2020/01/28 「智慧の記」などとそれらしさのあるタイトルを平気でつけましたが、更新が滞っていました。智慧に向いていない、賽の目があらかじめ決まっているかのごとく、絶対的な存在に見向きもされていないのかもしれない。 まどろっこしく本題に入らない…
学問、何から始めよう。哲学は前提を疑うために永遠に続くからひとまず放置。
今回の「智慧の記」は、ここ最近少し"詩"に触れられて考えたことをまとめてみます。
その先、排除し続けても残るもの、つまり、森羅万象、あらゆること・現象に謙虚に接した上で残るものが笹谷くんの好きなことだったりする。結果からしかわからない。
炊けた時はピィーと奇声のような音を発して、眠りについた赤ん坊を起こすのに、お米が釜に入っていないと無言を貫くのか。
「閉店」するまで店は稼働していたのである。お客さんを迎え、商品などを通して人と人が交わっていた。
細胞の入れ替えか、新旧混ざった玉ねぎの選別か。新陳代謝、と処理をする。
こちら朝の公園、荒井由実の「中央フリーウェイ」が流れてきた。気持ちいい。しかし、ヒップホップ強化週間。N.W.A に切り替える。
フラッシュバックする記憶やイヤホンから流れてくるあの曲。鳴り止まずに頭をループする。夜に感慨に耽りたくなければ、飲みに歩く、もしくは音を浴びにいく。新しい出会いはいつも新鮮で人生に活力を与えてくれる。
何と一体化、もしくは何に依存するのか。その選択を誤れば、依存は習慣となり生活に組み込まれるのだから、一般的な意味において不幸になりやすいと思う。