心象記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

世界の見方を探していくことと自分を知ることは同義語。

2020/07/27

 

左下の親知らずが活動を始めた。

本人の意思とは無関係に、火山の噴火のように、予期せぬ時に。なぜか下ふたつは抜いていると思い込んでいた。少しの痛みにより左下を抜いていなかったと発覚。都合よく記憶を塗り替えるものだと自分自身に感心しながら、なぜ抜かなかったのかと少し後悔する。

 
今日は主に季語を調べていた。まだ6月の季語を調べている。ミミズやらオケラが出てきて、画像検索で幾分ゾクっとしたが、なんのその。新体操だったか、足をずっと高い位置で上げることはとても難しいと聞いた。少しでも体験することにより、感動するポイントを発見できる、というようなことを仰っていた。


季語を調べるのもこれに少し似ている。体験ではないが、すでに知っているものの特徴を改めて知ると、感動する。世界そのものではなく世界の見方を変えればいい。世界の見方を探していくことと自分を知ることは同義語。


とあるデザイナーの人は、まずは自分が何に惹かれているか、どういったものに惹かれるかを研究すると言っていた。創作にも関与しつつ、幸せに近づく方法論のような話でもある気がする。

 

つらつらと書いたがそういった細かいことは度外視され、もぬけの殻のような状態になることもある。情熱の欠乏や虚無の来襲に対する策は未だに発見できず。

ただ、親知らずの痛みに対する策は確立されている。そう、歯医者。


写真は壁。いつの間にか、カメラロールに壁の写真が入っていることが多々ある。

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