日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「閉店日」について

2020/08/31


「aulymosquito」という表現のコミュニティを主宰しており、そこで詩人の伊藤晋毅さんにコラム「観察庁24時」を連載してもらっている。自分の感覚的な部分で感じていることだが、その人にしかない発想を持っている人がたまにいる。伊藤さんである。

 

本当は全員が「その人にしかない発想」を持っているのかもしれないが、その特有の発想が感じられる人は多くはない。伊藤さんは他に替えがたい発想を持っている人で、ひねくれやおどろおどろしさ、分析的なもので作品がコーティングされている場合はあるが一番奥には情緒がある。


見え隠れするその部分に触れるとじんとする。

伊藤さんが今回持ってきたテーマは「閉店」。

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【閉店日のグルーヴ】

https://auly-mosquito.com/blog/2020/08/30/observation-agency24-9/

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「閉店」するまで店は稼働していたのである。お客さんを迎え、商品などを通して人と人が交わっていた。閉店にはその営みがなくなること、つまり、その言葉にすでに"存在していたものが消える"という意味合いが含まれている。

 

昔、蒲焼さん太郎というお菓子が好きで、駄菓子屋に一回行くたびに10枚ほど購入していた。当時、駄菓子屋に一緒に行く、とても背の高い友達がいた。自転車の後ろによく乗せてくれていて感謝するぐらいなのに、「背が高くて前が見えない」といつも思っていた。

駄菓子屋まで自転車の二人乗りで行って、蒲焼さん太郎を購入しだらだらとしゃべっていた。日常のルーティンだったその行動は、駄菓子屋の閉店によりなくなった。

 

閉店はある一定人数の行動を変えてしまう。とても生活に関わりが深いことだ。

 

大きく言えば、これも無常観なのだろうか。

無常観はどの時代を生きる人にとっても、作品の立派なテーマになり得る。
どちらにしろ移り変わる運命なら、日々を丁寧になぞって生きていくのがよさそうだ。

 

写真は朝の散歩にて。太くも細くもない枝が良い。

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