独りぼっちのささじぃ 201608-201812
酩酊の中の光明。
生きていて、年をとればとるほど充実しているように思います、ありがとうございます。
新しい試みもあり、90'sのHip hopの土臭さが感じられたり、いいのができそうです。
想像によるところが多い考察になってしまいますが、民族の嘆きが濾過されてブルースという音楽が生まれたと考えれば、直感的には、合点がいく。
。日本語レゲエの開拓者ランキン・タクシー氏のサウンドシステム TAXI HI-FI から流れるデニス・ブラウンの曲。
隣のビルが煌々と照らされ、立派に屹立しているようにみえる。食事を取ろうと、ズズッと音を立て買ってきた麺をすする。
脈絡もへったくれもないですが、ローカルのパーティが好きです、温かみ。根本はそこに人間が集約されている気がします。真実はいつも少数派にあるのではないかと、思わざるを得なく。
机の上に置いているビスケットは、ずっと食べられないままだ。
やあやあ、精を出して生きよう。
音楽してます、というのが恥ずかしくるなるぐらいのレベル。言葉を超えた、ああ。上手くならなきゃ。でも、このレベルまで、辿り着かないと死ねない。音楽してるから、なんとかする。
相手の気持ちを配慮する人が集うと、「いろいろあるけど、みんな頑張っていこう」が発揮されます。今日は、文章も乱れてもいいやと、安心できる日。
そんなこんなで、外に出て録音してそれらを繋げて、一つの曲にする、ちょっとしたサンプリング、パッチワーク的なのをやってみようという意欲に駆られまして。
「あなたは愛する人と話すことさえも禁止していないですか」言動は巨大な大木となり命を奪いにくる。
半年かもっと前か、埼玉で日曜夜更し倶楽部をご拝見させて頂いときと比べると、格段に良くなっていた。しかし、どうしても口を挟みたくなる。
創っていたビートを10曲、デジタル配信します。良くも悪くも完全に「笹谷創」でしかありません。似たような感じに飽きた方とかにはきっと新鮮よ。
と、考えるが本質はそんな細々したことではないのかとも思う。パターンの組み合わせで表面を掬い上げても、結局、良いものに辿り着かない。
「何がつまりなの。武史の言葉は機械で無理に揃えたいびつな粒みたい。虫唾が走るわ」
人間、誰しもがその感性を持ち合わせている、環境か主義かは甚だわかりませんが、無意識へと押しのけているのかもしれない。
父親が教えてくれた自転車の乗り方。あの日の車輪を思い出せ!
あと、多分、自分の価値観が誤解を持って伝わり、苦心する。経験からそう感じる。
帰り道の描写 カバンを手に引っ掛けて帰路に着く。何十年と昔のカントリー音楽を聴く。どこの土地で生まれたかも知らず、もちろん、その地に行ったこともなく。その音楽は電車に揺られていようとも、新緑に囲まれたかのような心持ちにさせてくれる。 座席か…
時たま古本屋で見かける藁半紙。持ち主を転々と変えて、誰かの手に届くまではそこにずっと佇む。
志といえば聞こえはよいが、とどのつまり、様々な角度を見た上でのしつこさ、みたいなものかと。
人々の少し先には、話す喜びがある。暖かな対話に包まれていくのだろう。主人公を譲る癖もいつもと同じ。
これほどまでの多種多様、精神的要素も含めた、自由度の高い楽器は
究極の主観、いつか客観へ。具体性発、抽象性着。
表現に関しては主観的なものに惹かれるが、主観的というのは強くもあるが脆くもある。諸刃の剣的な、だからこそ、美しく。
いろいろ話したけど、「その人の最大限を出せばええんちゃん」的なことを言っていた。なんか、ハッとしたんです。
70年代?の生音がたまらない。
雑に書かれたそれらの文字はまさにミミズのようであった。