曖昧という魅力
曖昧という魅力
せわしなく、共有されている時間だけど、恣意的で。大枠を掴めば、曖昧に広げられる世界。曖昧とは恐ろしいもので、質を下げる場合もあれば、可能性を感じさせるものでもある。
こんなに長と短を兼ね備えた定義はあるのか、といえば、完成されすぎたものの魅力とは。受け手に「余り」を与えるのが、芸事ではないのか。その余りを自由に謳歌できるからこそ、ファンになったり。隙間がないと、息がつまりそう。もしくは完膚なきまでに形式にはめるのか。
空気ではなく形式にはめられたかどうか、それが反省点となる世界。不思議だ。無駄な矜持かもしれないと知っているが、それをなくしてしまえば、創ることに携わる意味さえ失いそう。
究極の主観、いつか客観へ。具体性発、抽象性着。戯言がすらすら出るほど、周囲の方のおかげで様々な考えや感覚を得られる。それは、理屈抜きの幸せだ。思い出した。
昨日、ふと撮った朝焼けが綺麗だった。