日本語に感情は宿り、奥ゆかしさや情緒に身を預けてみる
既視感がすごいですが、james brownさん、とんでもないです。音楽を身体で受け止めている感!音楽のアプローチは様々ですが、音楽をここまで受け止められるとは。
ああ。
比べても無意味とは知っているが、参考になる。何をしたいかと何ができるか、そのどちらもみてどこを削ぎ落とし、どこを尖らせるのか。そのまま、輸入しても仕方のないと思ってしまう。やはり、日本語を駆使した音楽へのアプローチは必要。すでに日本語に感情は宿っているのだから、奥ゆかしさや情緒に身を預けてみる。
と、考えるが本質はそんな細々したことではないのかとも思う。パターンの組み合わせで表面を掬い上げても、結局、良いものに辿り着かない。言葉に力がある、それは極端にいうと中島らもさんのライブ。音楽の為の音楽ではない。表現とはそういうことなのか。
「音」という最小単位で捉え、発想を使う。音を選ぶこと(DJ)と自らが音を使い表現すること(歌う人)は心持ちも大きく違ってくる。好きなこと、悩ましくとも、懸命に向き合う。
写真はふらっと寄った吉祥寺cheekyさんにて。
ラッパーの鬼さんの公開リハーサルを人知れず覗いてきました。