日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

2021・10・18

日記

今日は取材の書き起こしをした。書き起こしをしてみると取材中に話を聞いている時とはまた印象が違う。普段、いかに会話をニュアンスでおこなっているのかがわかる。言葉の内容だけを捉える難しさ。空間や関係性が会話にはどうしてもひっついて、バイアスがかかる。何事も”自分バイアスがかかっている”と頭のどこかに置いておかなければ、物事の本質を捉えるのは難しそう。(物事の本質って何?!)

本質という”言葉”は文脈上にしか存在せず…と、書き始めると話がロケットぐらい飛んでいきそうなので…もとい。

ある一点(この場合は記事)を中心にどんどんと関連したものが出てくると、知的好奇心が満たされる。つまり、”関連づけていく行為”にはある種の快楽的な要素が含まれている(多分)。関連づける楽しさ、「離ればなれのものが実は地続きであった!」という発見、その辺りを意識して記事に出来ればと思っている。

お昼過ぎに無味ちゃんから詩をもらった。すごい詩がきた。
正確に形容する言葉が見当たらないが、「あなたの詩はどこから?」「私の詩は愛の枯渇から」そんな風に感じる。実際にお会いしたことはないけど、「ああ、多分この人は同じ穴のムジナだ」と勝手に思っていて、親近感がある。