独りぼっちのささじぃ 201608-201812
人間の根源的なことに触れて創作をしている人と出会えて嬉しく。
一貫した自己はなく、感覚は共存させられる。思考と無心。
立場もやっているジャンルも、関係ないように思う。立場、立場の発言にはあまり馴染めないん。
木をみて、「これがどうして紙に!!?」と。あらゆる軋轢は損や得を考えてしまうがために生まれるのではないか。
そして、帰りにギター屋さんに寄り、弦を購入した。張り替えよう。
一回聴いただけでハッと思わせる歌唱とはなんなのだろうかと考ずにいられなかった
あと、この本を読んで面白いなあと感じたのが、視覚は時間を疎外し客観化する、聴覚は時間を前提として内在化する、ということ。
ふっとしたココロの隙間を埋める楽曲です。(喪黒福造かっ!!)
ただ、たわいない話をするだけです。話の内容とかではないです。無言であっても問題なしです。
十人十色、千差万別、人間が共通する点とはいったいなんなのだろうか。
身内含め人生は色々濃くなっていく。生かされるためにも、みんなを生かして。価値観をきちんと送り出して、対価を得る。
そこを前提にすると、数で見るしかなくなる。つまり、より「多くの人の幸福」が判断を下す理由となる
描いた理想郷には百花繚乱のごとく才ある人物が在る。その一方で、ここには門外漢が跋扈している、と鼻息を荒くする。
突飛ですが、やはり、詩は美しい。その言葉に至るまでの過程を想像し、行間に滲み出る感性を愛でる。
小説家でも音楽家でも、作品を鑑賞する観点として、私は「この人はどういう思考によりこの作品に至ったんだ」というのがあるのです
音楽は人間が織りなしている、というのはどうしても忘れ得ない
いずれにしても、貰う側から与える側へと感覚が移っている。還元。
「芸術というものが、もうちょっと世に取り上げられてもいいのではないか」
natural vybzの音がパワーアップしていた。音が深くなっているというか。超かっこよか。
あえて主題やテーマを決めて、ひとつの観点から作品を創っていくのも、つくる人にとっても、聴く人にとっても斬新。
箱根が教えてくれた人間と自然のバランス、撮影者(私)と被写体(葉)もそういう関係でありたい。
互いを「知らない」ゆえの楽しさ。それは麻薬的で刺激を求める人の性質の理に適っている。
特に疑問に感じることなく、エネルギーを消費し、私たちは満足を得ている。私はそのエネルギーはどこからやってきて、どうお金が絡んで、どれくらい残ってて、どういう弊害があって、どういう利点があって、違った活用方法はないのか、など何も知らない。
美しいとは理想や憧れ。 美しいとはフェチ。美しいとは気分。
「真実の価値あるものを生むためには自己犠牲が必ず必要」という一文があった。
幅があると表現すればいいのか、あのもたつきの魅力よ。音を創る上でもたつきと心地よさはかなり、密接な関係にあるように思う。
裏の路地に入るとアジアの趣。天候は曇り空、雨が時たま混じるせいか少し涼しくあった。
鋭さゆえに疲弊を得るなら、フラットに鈍感を夢見し。今日は代え難いという、言葉の意味をなぞらえて。
いろんな考えや感情を見て、客観性に収斂し、その先の行動を起こす。
本は考えることが整理されている、それをまた、読み取り、再構築する。そんな作業が脳内で