短文「感性の生成」 と 怠惰、セカンドアルバムに向けて録音。
感性の生成
旋律に触れられる。
それは山のような起伏であり、鼓動である。周波数にて分け隔てるのではない。「そのもの」を「そのもの」として捕まえるのである。修練を積んだ芸術家は感覚に名をつける。一方、探究心のないものは淡い寂寥を覚える前に、そっと蓋を閉じる。
立派に編まれた竹細工の籠を見つければ、誰だって感動するであろう。その精巧さや自我を一切残さない作業に。作用は運否天賦であると気付き、また、踏ん切りをつけた時にすでに決定されているのであろう。
抽象化の三歩手前、種と呼ぶには形がはっきりとせず、屈折の余地がある。可愛い子どものように扱っていては、腐るばかりだ。肥料は主観であればあるほど、力強くあり同時に脆い。頑丈である必要は果たしてあるのか。それは当事者、視線を浴びせる側、どちらに取っても不明瞭である。光明が差したと信ずれば、とにかく印を付ける。この作業は陰鬱でも明朗でも、性質は変われど力量に変化はないのだ。
録音
昨日は、先生こと怠惰のセカンドアルバムのプリプロを取っておりました。
(ストレートにカッコイイのを維持しつつ、フォークの影響を受けている節も感じ取れつつ、新しい試みもあり、90'sのHip hopの土臭さが感じられたり、いいのができそうです。)
来年はKOKやUMBや戦極、いわゆるMCバトルに先生を放り込みます。以後、お見知りおきを頂ければ。
ファーストアルバムはi tunes,spotify などで配信中です。
録音を終えて、そして、二人で忘年会。結果、カラオケ行くやつ〜。