智慧の記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

天秤を侮っているものは何も謀れずに、ただ乾きを積み重ねて浪費する

 

気持ちよくなるほど労働に従事する。その間に何羽の烏が上空を飛ぶのか、その間にも土地に根付く風習は民を守る。その境界線に苛み、今に訴える。そうやって生きていくはずだ。言葉は像をただなぞっただけであるがため、生命が脆いものと知らない君の言葉は批評にすら届かない。判断をくだすとは、自らの感情より周囲を巻き込んでいるのだから、できるだけ警戒し、尊敬の念を抱くのが良い。

 

天秤を侮っているものは何も謀れずに、ただ乾きを積み重ねて浪費する。「知る」ことにより脈を打つことを忘れた人々。全体として捉え洗脳という文脈に落とし込むのか。規則的に訪れる喜びを享受し人生を謳歌する者と罵倒するのか。また、そのどちらでもないのか。「あなたは愛する人と話すことさえも禁止していないですか」言動は巨大な大木となり命を奪いにくる。「刃をなぜ研ぎ澄ますのですか」防衛か暴挙か、違いをいってしまうと個性が出てしまう。どうやって集約させる気なのか。

 

世界に憤慨しているあなたとわたしは、きみをみているばかり。

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