日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

"誰もが誰かに成り得るから 身を委ねな この流れる河"

2020/08/07

 

生き方の違い、性質の違い。

どういう点で一致して、どういった点では一致しない。見せるところ、見せないところ、それぞれの選択。意識的なところ、無意識的なところ。関係というのが複雑になる理由はここにあるのだろうか。と言うより、シンプルなのにややこしい理解の仕方をしようとして、自分で複雑にしているだけである。どちらかというと捉え方を是正するべきなのだろうと。


得れたものもたくさんあると思うけど、繊細なの今さらだるくなってきた。心臓をギュッと掴まれて、その痛みのようなものが頭のてっぺんから足の指先にまで広がる。三浦春馬さんはどういう心境だったのだろうか。開きたくない扉が勝手にひらく。


自分だけが..悲劇のヒロイン的思考は狭窄的になり誰にもいい影響を与えられないから、とても嫌。

 
"誰もが誰かに成り得るから 身を委ねな この流れる河"


加藤さんと作った深い河という曲に上記のリリックがある、視野の広さがある。まわりが見えなくなりそうになる前に心に浮かべたい。ただ、分かることと出来ることの溝の深さが恐ろしい。未熟だ、身を委ねる潔さがいる。

北風と太陽の話のように、抗うのではなく馴染ませて。

 

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