日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

昼と夜、月と太陽、光と闇、繰り返しの象徴。

2020/07/12

 

今日はバグダッドカフェという映画を見た。

ラスベガス近郊のモハーヴェ砂漠付近が舞台だそう。そんな砂漠があるのか。初知り。風景が綺麗でずっと見ていられる。人と人の交流する空気感も好き。とてもよかった。主題歌もこれまた、心打たれる。

wowow + に入ったことにより、映画を観る。これまでの人生、全くといっていいほど、観なかった。夜は母ときた道という映画を観た。棚田がなんと美しい。

 
映画を観終わって夜の散歩。

音楽を聴いて歩いていると映画の中の気がしてくる。何が現実で何が違うの境界線が曖昧に、"境目などはどうでもいいことなのではないか"という気がしてくる。
その前の日、ホドロフスキーさんの映画を観た。観終わった後、道行く人たちに対して「この人たちは何で服を着てんねん」とか思った。人間、ルールの上で生きているものと。

 
詩作をしようと思い立つが、夜の公園で蚊に噛まれた。膝がかゆい。これは詩作にとっての盲点。痒みがおさまる頃、一編の詩が降りてくることを願って。まず思索。
「詩を書くには日常を深く生きること」、そんな感じのことをほりぐっちゃんが言っていたと思い出した。


家に着くと眠っていた。週末遊んだ分、日曜日は良く寝るものだ。日曜日によく孤独に苛まれる、明日になればその感覚は全くと言っていいほど消え失せると知っている。

昼と夜、月と太陽、光と闇、繰り返しの象徴。

 
写真は今日の昼散歩。

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