日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

今日はそんなことを考えていた

 

2020/07/02


勝手に頭の中で何かしらを考えてしまう気質だが、それは積極的(主体的)に観察することと違う。後者は脅迫概念めいたものではなくて、熟考していくという感じである。
思い浮かぶというイメージをどうしても、勝手に膨らみ破裂する、悪性のガン細胞のようなものと、とらえがち。
それを考えることにより、プラスに転移させる。自らメスを持ちだし手術を行うように。
十人十色なので感覚はそれぞれであるが、知的好奇心は自分にとって宝物。枯渇させたくないし、生きる上での根源的な動機にも成りうる。ルーティンワークをおこなう時は、無意識になりがちだが、当たり前の作業に疑問を持ってみると、意外に新鮮になったりする。
疑問を持つことは可能性を見出すこと、わからない領域を作り出す作業。それを整理整頓。いきなりトーンが変わるけど、子どもの成長を見守りたいし、久しぶりにイベントに行くと好きな人もいっぱいいて感動的に楽しいし、世の中知らないことだらけだし、まだ全然死にたくない。

今日は、そんなことを考えていた。
締めの言葉として、「考えることの基本は体系化させること」という直感的な持論を置いていきます。

 

 ゴリラが"打て!!"と言っている写真。

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