「別の像である」という意識が強く働くと、分裂や乖離を引き起こす。
人間の支配下に置けないものに美しさは付随しているのだろうか。
私もその円の一部となり、対話の質を変えてしまう素っ頓狂な言葉を羅列する。それは私の自然な在り方である。
概念を脳内にコレクションし、「観察」を始める。
抗えない本能を逆手に捉えれると、質の良い鍛錬に繋がる。
自らのストレスを転嫁させるための誇大妄想なのか。
規定は無意識の領域へと入り込み、健全な精神を蝕む。時には悦に入りあやふやな言動をする。
眉間にしわを寄せ、顎には三重の線を浮かべている。
詩です。
丸いメガネに白い顎髭、微動だにしない眉で堂々と新聞をめくるお爺さん。
顔が全く見えない複数の人が裸でいる絵だった。顔が見えないというのは、顔自体を細工しているわけではなく、棚の中に顔を突っ込んで隠したりしているのである。決して、身体の可動領域がおかしくなっている絵ではない。
簡単な言葉で要領を得て説明できる人を尊敬する。その一方、これらの用語に心踊る自分に気づく。
精神の動揺はそれまでの世界を瞬時に変貌させる。
その装飾物を暖簾に見立て「へい、いらっしゃい」和紙をとめくり、周囲を和まそうとした人々のことを考えながら歩いた。
旧友は上手に例えるものだと、しきりに感心してしまった。
てらしあわせてみましたが 真っ直ぐにいくしかないようです
動く車窓から見えるマンションの光、信号を渡る老婆、
一般的な教養レベルの知識を得んがために、現在、万里一空の精神である。
MIDI 。サンプラー。ブレイクビーツ。サンプリング。ケミカルブラザーズ。s1000。BPM。周波数。lo-fi。エリック・クラプトン。
部屋を整理してたら、懐かしいフライヤーを発見。東大阪の布施で自分で打ったイベント。ポイントゼロ。原点。座標軸のど真ん中。
投票所はあちらです 早稲田どおり 日曜日
畏敬の念は、いつからか導きによって、形骸化されたプロトタイプのジャンク品となり得る。
怠惰(先生)、MCバトルデビューの巻。
久しぶりに本を読んでみた。文字を目で追うのではなく、文字がばっと頭に入ってきた。「読む」というより「見る」に近くなっている。
お金が手段であるように、今の行動が手段のままであるように。
「ので」にしろ、「+」にしろ、抽象化している。
ひたすらだ ひたすらにいたいのだ 苦肉の策は もろともやぶれたのだ だが待て あきらめろ
セミの抜け殻。空。積もっていくのに、一歩も動けない。回転させるためになるべく先手を打つように、抜けのないようにしている。
ある側面においては、良心の問題に行き着く。
言葉に興味があるのも、思考をしてしまう癖を患っているからであり、過去に小説を読んだのも、そういう種の癖を持ってそうな小説家たちの思考を知り、感性を近くにみたかったから。