日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

一般的な社会的通念(価値観)と、その人の役割という2つが混同

2019年7月21日

 

昨日、沙弥朗さんの誕生日。

これは、ひたすらに濃い。さすが、世誕祭。そして、今日は千葉の松戸へ。怠惰(先生)、MCバトルデビューの巻。私はマネージャーなのだ。初っ端、黄猿さんと。言わずとも共感する前提があって、レベルが高かった。怠惰、初黒星、初めてのバトルいい始まり。楽しくなりそう。

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色んなラッパーの方のライブも見た。アートを身にまとっている人、ひたすら言葉を紡ぐ人、純情な人。自分が一番感じたのは、場の空気で。世代を超えての「おもてなし」。安心する理由はやはり、そこにあった。


多種多様な考えがある中、たしかに人間には争う性質がある。それでも人間が共通として持てるのは、意識的にしろ、無意識的にしろ、共生するためか、相手を慮る気持ちなのかなと。それだけじゃ飯は食えないけど。資本が絡むと、そうは問屋が卸さないけども。


情報を得たり勉強をしたり宣伝したり、ツイッターをみる。埃があったら叩け的な、内容は至極その通りと思うことも多いけど、現代の一般的な社会的通念(価値観)と、その人の役割という2つを混同されているのかなと感じたりする。今日ライブである方がおっしゃっていた「賢くならなきゃ」というのは、そういうのにも通ずる。言い方ひとつ、その積み重ねで、変わることもあったり。また、言い方ではない、その奥の。言葉を持っている持っていないじゃないところの。

 

意図すること、行間を読む力。個人的には、友達と旅行に行ったみたいな、本当に楽しい日でした。