「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」 ほりぐっちゃんの名曲「山頭歌」がミュージックビデオになりました。
「ちぶかが」 Newビデオ発表!
Newビデオというと、語感からいやらしいことを想像しそうになりますね。
ところで、みなさまは種田山頭火という詩人を知っておりますか。
私的には教科書に出ていたし、名前がすごく印象的だから遠い記憶の片隅にあります。自由律俳句のお方で地主の家で生まれて最後は乞食となったそうな。晩年の日記にこんな一節が。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」
うーむ、「生ききった人だな」と感じざるを得ない。味わい深い。
総合芸術家集団「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」のほりぐっちゃんは、そんな山頭火に影響を受けている節が見受けられます。
誰かに憧れるところから作品は生まれる。酒に山に詩を抱き、ほりぐっちゃんは「山頭歌」を発表しました。フォーク調のビートに、妙に落ち着きのある声が絡みついています。
個人的にはお茶のCMみたいなミュージックビデオに仕上がったと思います。。
ド派手な曲ではないですが、ひたすら足元が観れる味のあるミュージックビデオでごわす。
次のイベントでは「Rice」を担当
そんな渋い彼は次のイベントでお米炊きます。
いいお米炊きますよ、彼。最近、会えば土鍋の話か稲穂の話ばっかりです。
一粒、一粒に魂を米(こめ)てくれるはず。我が米(マイ)メン。イベントが差し迫ってきたぞ。
(前回のイベントの一幕、多分サイファーが始まっていたような\(^-^ )
:(左)堀ぐっちゃん、(中)きよしくん、(右)先生
占いの様子
今回は蔵前4273さんが地元の日本酒をご用意してくれるのだとか。すごく良くしてくれて、すごくいいお店です。涙
10/7は音楽にお酒にお米に踊りにお喋りに花を咲かしましょう。
気がつけば、秋もすっかり深まっていますす!!
うーん、高校の友達のミュージックビデオ撮るとは思わなんだね(^-^ )笑
なんだか、いいね。
乳房知らずの人は、↓ぜひ見てみてください\(^-^ )
「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」の軌跡
1.「ちぶかが」発足
2.「ちぶかが」盆栽村にいく
3.「ちぶかが」 メンバー増殖
4.「ちぶかが」シンポジウム開催
4.「ちぶかが」BBQ前半戦
5.「ちぶかが」BBQ後半戦
6.「ちぶかが」会議
7.「ちぶかが」ミニ演奏会
8.「ちぶかが使節団」静岡へ
9.「ちぶかが」初イベント打つぞ!
10.山に「ミュージックビデオ撮影」に行ったの巻!
11.ちぶかが初イベント無事に終える!
12.ケンシロウを乳房に巻き込む!
13.まおにゃんがPV撮影を請け負ってくれた!
14.お米イベント開催でごわす!
一旦さようなら哲学書、そして、はじめよう論理学。
こんにちは、哲学書
よーし、フィロソフィーだ!ということで、哲学書を読み始めました。
うおっ!大意がたまに分かっても、基本的に何を書いているかわからない。言葉の概念を定義できない。その言葉を仮にそういう言葉として規定して使っているのか、いつの間に指し示されたのか。
これをパッと読んで、読解できる人はいるのだろうか。ほげえ( T_T)
とりあえず、自分の論理力のなさに辟易です。論理学をわからずに哲学書を読むなど、フランス語を知らないのに、フランスの本を読む感じとネットに書いていた。そうなのかもしれない。
今更感は否めないけど、論理的思考って哲学だけじゃなくてパソコンちゃんのプログラムとかにも明らかに役立つよね。生まれて歳月が経ったのだから、新たな開拓にはしつこさと気合いでいく。本当の思惟のスタートラインにも立っていないという。ただ、悲しんでいるヒマはない。
それもそのはず。個人的に考えることは楽しい。考えることを失っていない日々は輝いているともいえる。疑問を持つことは喜び。よし、文学の味わい深さは少し眠ってもらおう。曖昧さを八つ裂きにしに行こう。一つひとつの進捗は早いとは言えないけど、やりたいことやりきらんと・・。報われぬ。
「理論」という自分があまり得意ではないであろうものを学ぶ。本をいろいろ読んで思うけど、なんだかんだ勉強って思考の基本ですね。
理論や哲学があって、その上に科学・数学・国語があるような感じでしょうか。いつもスタート遅いなあとか思うけど、このタイミングではないと始めていないんだなとも思う。「大人になると勉強が楽しくなる」とアダルトな趣を駆使して、好奇心の赴くままに生きてみよう。
「よろしく、さっちゃん!!」結婚して1年の月日が流れました。そして、おばあちゃんから手紙が届きました。
結婚1年
海外旅行に行った時の機内で「Beer」とキャビンアテンダントさんに言ったら、牛乳が出てきた!!と、嫁が居酒屋で言っていました。
そう、今日は結婚1年記念日でした。最近は、私が疲れているせいか夫としての職務を放棄気味です。笑
夫婦は持ちつ持たれつですね。人との生活は「相手をどれだけ許せるか」に尽きると思います。「相手をどれだけ許せるか」というのは、愛情ですね。「興味が湧かないことに関しては振り向かなさすぎるやろ!」という性格を理解してくれて有難いです。
年をとると、自分に合わないことは無理にしないようになってくると思うんです。それは、逆に言うとクセが強くなるんだろう。昔は父親を見て「矛盾っ!!!!!!」と思っていたけど、だんだんと理解できる。生まれた子供はそれを見て「矛盾っ!!!!」と思うんだろう。まあ、、たくましく育つはず。笑
巡りめぐる。とにかく・・よろしく、さっちゃんというお話です。
おばあちゃんからの手紙
今日はおばあちゃんとから手紙が届きました。なにやら我が埼玉の美術館で「駒井哲郎」展がやっていると。画に対して、造詣が一切ない私は恥ずかしながら駒井哲郎さんを知らなんだ。
駒井さんは銅版画の詩人と謳われていたそうな。銅版画の詩人?!
ふむふむ、現実と夢の狭間を漂う詩的な作風だったそうな。少年の頃から銅版画に憧れていて・・へい、お待ち!
銅版画とはなんや!!
銅板に絵を彫ったものだそうな。銅の板に絵を彫るのか。つまり彫刻の一種?
いろいろ、技法がありそう。これは深そうなにおいがします。
なにやらネットサーフィンしていたら、銅版画は記録としての要素も持つらしい。というか考えれば、絵は記録としての要素は必然的にあるもんね。感性を一極集中し、絵にするのも感性の記録だし、社会の習わしや状態を絵にするのもごりごり記録だし。
考えれば、音楽もそうか。それは言葉にできないものの具現化ですもんね。ある意味、芸術は方法論でもあるわけでごわすね。よし、嫁を連れて美術展に足を運ぼう\(^-^ )
けっきょく、よろしく、さっちゃんというお話。