日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「回廊日記」 2021.03.29

『回廊日記』

 

先日、superpianoman のライブを観に行った。今、ギターの練習をしているが、どれだけ上達しても superguitarman と名乗る勇気はない。superpianoman ではないが時にパンチが効いている活動名の方に出会う。まず頭に浮かぶのがペニスハンモック※1さん。どうも、どこかに「・」をつけたくなる。

 

ペニ・スハンモック

ペ・ニスハンモック

ペニスハン・モック

 

※1 下北沢のイベントでご一緒させていただいたが、端正な顔立ちでとてもセンスが溢れる方でした

 

今のところ、ペニスハン・モックが秀でている。語呂が気にいっている。しかし、この問題は人によりさまざまな気がする。ペニスハンモックさんのどこに「・」をつけるかでその人の気質がわかる的な性格診断の要素があるのかなとか思いつつ。これはどこで一呼吸を置くのか、その人の『間のとり方』が見えたりするのだとか。

(皆様はペニスハンモックさんのどこに「・」をつけますでしょうか。)

ペニスとハンモック...この妙なバランスには覚えがある。明治生まれの俳人、尾崎放哉の句『素晴らしい乳房だ。蚊がいる。』を耳にした時と同じ感覚だ。

 


乳房に蚊、ペニスにハンモック。

直観の域を抜けないが、これら二つのバランス感は同等のものと思う。ただ、ハンモックに男性の急所をのせるのは本人の意志であるが、乳房に蚊が止まるのは外的要因(蚊の気分次第?)である。この点を考慮すると前言撤回、バランス感がまた変わってくる。


夜の風が気持ちいい季節、ペニスハンモックさんのどこに「・」をつけるかを考えながら、今日はゆらゆらと眠ることに。 

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