鍛冶屋が金属を鍛錬するように、論理学に頭突きをかまそう
論理学入門
学問、言葉で説明される。その意味をつかまなければならないという考えにより、論理学の門をたたく。(「学問の土台は哲学にある」とどこかの教授が言っていたが、哲学は前提を疑うため、永遠に続くからひとまず放置)学ぶための道具の準備に差し掛かる。
オルガノン。wikipediaによると(概念の整理整頓を通して)真理の探求を可能・容易にするための道具」としての「論理学」。
とにかく入門する。お世話になります、野矢さん。
下記は自分なりに要約したもの。
ブログだがノートとなんら変わりない。
まずは目的・目標--
「論理学の目標は、演繹的推論を整理し、体系的に捉えてそれを理論化すること」
一気に読むと頭に入らないからまずは、「否定」について。
・否定について
定義:「ある状況でAではないと正しく主張できるのは、その状況でAと主張すると間違いになるとき」
①排中律
すべてを「AまたはnotA」のどちらかとする。
例:勇気が一度も試されないまま死んだ人は、勇気があるのか勇気がないのか、そのどちらかわからない。真相は闇の中、この場合「AまたはnotA」のどちらかにできない。二元論を認めないと話が進まない。よし、俳中律を認めよう的なノリか。
俳中律を認めるか認めないかで論理体系が変わってくるらしい。
--認める(標準的な体系)、あるものとする、実在論的立場、神の視点。
--認めない(非標準的な体系)、わからない、非実在論的立場、人の視点。
②二重否定則
(Aではない)ではない
つまり、A
酔っていない、ではない→酔っている
なんとなくわかるけど、なんだかイメージしにくい。いやな感じ。
③矛盾律
「AかつAではない」ということはない
矛盾律ではなく矛盾について、上記の「AかつAではない」が矛盾の範囲。
「あいつは勉強していないのに、東大に通った」は別に矛盾していない。
なぜなら、「あいつは勉強している かつ あいつは勉強していない(AかつAではない)」とはならない。あいつは勉強はしていないのだ。東大に通ることと、勉強をしているかしていないかは関係がない。
例:彼は12時にニューヨークにいた。
その10分後の12時10分、ロンドンにいた。
これは矛盾。なぜ、矛盾かというと10分でロンドンに到着できないから。
"その10分後の12時10分、ロンドンにいた"を認めるということは、10分でニューヨークからロンドンに移動できることを認めること。しかし、それは不可能。
「AかつAではない」にあてはめると"10分でニューヨークからロンドンに移動できる" かつ "10分でニューヨークからロンドンに移動できない"
両立しない、破綻。矛盾だ。
④背理法
否定したい主張を仮定する。
その仮定から矛盾を導いていく。
すなわち、ある主張Aを否定していいのはどういうときかを規定したもの。「Aではない」と言えるのはAと主張すると間違いになるとき、これは否定の意味そのものだそう。ここで最初に書いた否定の定義を引っ張ってきます。
定義:「ある状況でAではないと正しく主張できるのは、その状況でAと主張すると間違いになるとき」
自明だけど前提がある。「ある主張Aを否定していいのはどういうときかを規定したもの」のどういうときかというのは前提の上に成り立っている。
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例:私は犬だ。
私は犬ではない
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前提の上に成り立つとは、この"私は犬ではない"ということが確実に担保されていることを指す。犬はみればおおよそ犬とわかるが、何をもって犬といえるのか。形?染色体の割合い?
ここを掘り出すと前に進まないので、「犬は犬」「犬ではないものは犬ではない」とする。この当たり前のことをあえて言う手法(ボケ)は高田純次に多く見られる気がする。たまに自分も使う。
誰もが自明と思っている前提を口に出すと、すっとぼけた印象を与える、ひいては普通にアホと思われる。やはり Time、Place、Occation が大切。
雑まとめ
・前提の定義がないと学問は成り立たない
・その前提を疑うのが哲学
・TPOはとても大切
鍛冶屋が金属を鍛錬するように、論理学に頭突きをかまそう。
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・総合芸術家集団 auly mosquito
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