独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

純粋、音で遊ぼう

純粋、音で遊ぼう

 

毎回、素敵なゲストの方をお呼びし開催しておりますイベントhave g good time ですが、今回は違った角度からイベントやってみようかと。
出演者が作ったビートやらでサイファーしてみます。タイムテーブルもみんなが集まって決める感じで行こうと思います。 

小さな一室ゆえにできる実験的なこと。音楽、求めること、純粋培養です。同じ人間、間口は広く、権威やメディア、商業にない音を求めたくて。アルバム出すし、しゃかりき営業をするつもりだけど、そことは違うオアシス的なサロンを創る。倒錯ではない、芸術の純度を高める。 

音楽は人間が織りなしている、というのはどうしても忘れ得ない。と、そんなこんなで、音楽を純粋にしよう。たまには、地位や名声から離れた音を、と考えてしまう時点で認められることに囚われているんだなあと、まじまじ思います。人間の持つ基本的欲求に素直と言えば聞こえはよろしいです。
表現の源はいったい、何なのか。忘れかけたもの、失っているもの、すでにあるもの。探しても見つからないものを追いかける行為か。まったく、尖りたいわけではないけど、押し殺したコンテンツに真実は有るのかと、思ってしまう。

自分の意見に悲観的過ぎるのが、悪いところですね。と、自分が他人なら自分に指摘する。嗚呼、音楽であそぼう。

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