回廊日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「回廊日記」 2021.03.08

【回廊日記】

 

"死への距離"、それは作品を観る上でのひとつの指標になり得る。距離という言葉を使ったが、内包されている、割合を観るという言い方が近しいのかもしれない。
死の割合と言ってしまうと、割合という言葉が持つイメージのせいなのか、抒情的な感じがひとつもしない。つまり、文章を書く上において、この言葉はどれくらい抒情的であるか、ということを意識しているのである。

31歳、日本国に住んでいる男性の意見。
生業としてやっているわけでもないが、荒く言えば、創るとは改めて分類すること。

分類の例を挙げると、魚を釣ることが趣味の人の「川で鮭をとった」と文を書く人の「川で鮭をとった」は全く違うと言える。
つまり、釣りの名人が自分に合った釣竿を選定するようなもので、文筆家は自分の中のイメージで言葉を再定義する。この再定義が先ほどの分類に該当する。
(再定義と分類という言葉だけを抽出すれば、全然違ってくる、分類のひとつのあり方として再定義がある、と定義している)

再定義は地となり肉となり、簡潔に言うと、文体になると思う。音楽や文章や絵画、性質は違えど、個の違いを楽しむもの全般に言える、代わりのない線(文体)を持つこと。
ここまで記した、文脈上は同じ意味として扱っておきながら、言葉が持つイメージの差を活かして、数珠つなぎ的に文章を構築している。自らで作った段階をどれだけ説明的にするか、説明すればするほど想像の余地を奪うので詩的さがなくなる。
芸術家とは他者の想像力を喚起させる人。

 

と、ここまで、断定的に言葉にし自らが再定義を行った。
念のために記しておくが、"代わりのない線を持つことが創作において正しい"と言っているわけではない。こんなものはどこまでいこうが、嗜好の話である。
それ以下でもそれ以上でもなく、ある意味ブレがない。t


直径3㎝の円形に対して代替できない3㎝の丸を納めにいっているようなもの。本日の締め、今日見た映画と呼んだ本を、備忘録として。


1.『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』
-作品+そこにある人間模様
 錆びることのない磁石のように 人は人を惹きつける
 
2.『幼年時代 あにいもうと
-抒情的
 文章だからこそ出現する つまり どうしようもない

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