日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「いずれ交わるなら早く 絡むもののない蔦が枯れている」

TO DO まみれ

 

この人生で今が一番、やること多い!
やっていきたいことが多すぎて、絞れない。随分と遠回りしている感じもする。

睡眠時間だけはきっちりとる。それ以外の時間はやることに全てベットしている。なるべく頭を回転させて、巻いて巻いて、暮らしている。ひたすらそれを繰り返す。
途中で死なないこと前提の動き!!「何の意味がある」と問うても止められなくなっている。それはもうそういうことであり、自然に選んだ道なのです。

止まっていると謎の焦燥感に駆られるため、それを行動で埋め込んでいるのか・・。
「目標できたけど、なにしよう状態」は完全に脱せた。人と関わったり、連絡をすることも2年前に比べると明らかに多くなった。今の枠内のやることを越えて、次の枠内へ。

  

自分の身内も確実にステップアップしている。刺激に。この一節がふと頭に。
「いずれ交わるなら早く 絡むもののない蔦が枯れている」

 

ああ、なにも割り切れず。母親から生まれた私、母親から生まれたあなた。
辿ってきた道は表現と連なる。失敗より、情熱が消える方が数段恐ろしく。いたって正気です。

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