独りぼっちのささじぃ 201608-201812
きれいとは言えないちゃりんこを借りて、嫁ちゃんと二人でサイクリングしました。ぼけっーとちゃりんこを漕いでいるのも、春の風を浴びてとても気持ちのいいものです。
そして、忘れることに違和感を覚えなくなる。そう思えなくなる、それはひとつの脅迫にさえなり得るのに。
日々、何を大切にして生きているか、そこに違いが生まれ作品に感性が吹き込まれる。
その後は太陽のような存在、嫁が舞い降りて乃木坂へと向かいました。
棒みたいなのがあって、そこにしがみついていた。
いつの時代も変わりなく、憂いを帯びた瞳には吸い込まれそうになる。
無意識の瞬間の会話は快楽である。陶酔した状態でありながらも意識や理性は保持され、心を苛める。
無邪気 嘲笑い 物事 横着に 欣喜雀躍 想いに 危機も
こういった前提への被疑から生まれるものは果たしてあるのだろうか。ぐるぐる頭を回していると矛盾を孕んでいることに気づく。
「写真で振り返っていこう」のコーナーです。
生姜入りのそのラーメンのスープは温かく、満足感が体内に入り込んでくる。
蠢く街に太陽は降り注ぐ。ビル群に反射し私はその光を浴びる。根拠や自信はほんのささいなことだ。
純粋に「正しいものが正しい形で伝わってほしいな」
場所はいつもお世話になっている蔵前4273です。盛大にできたらなーと思い、入場は無料にしました。
サイケデリックな世界に没入したり、朝から桜を愛でるために青いシートの上で寝そべってみたり、日常や非日常にご挨拶しております。
部活動の帰りである彼らは、磯野カツオばりの元気さを持ち合わせ、大きな声でお互いを罵り合い高める。
昔、祖母は「人は何かに依存しているのよ」と口ぐせのように言っていた。
空想と現実、ドアノブに手を掛けた。その先には物語が待っている。
「ささやかで慎ましい暮らし、かつ、成し遂げて生きたい」の混合物として進んでいきたい。
「高ぶりはなく、骨に溶けこんでいるのさ」
「よそはよそ、ウチはウチ」子供の購買意欲を一刀両断する母のその言葉がふと浮かぶ。
ひとつの形を為すことは美しい。工程自体に付いた色はさらに鮮明になる。目標とは人間の暇つぶし、また、生の結晶であると。
ただ朝は朝で紛れ、夜は夜で羽を休ませているのかもしれない。
なんでもなく、くるくる回るレコードに何の罪もなく。
社会から認められなかった彼女が唯一、認められたのが音楽。その後は大躍進、そしてドラッグにより27歳で亡くなったそうな。
自由意志の元の行動意欲は、従うべき行為に準じている可能性だって捨てきれない。
今の所、自分の手は2本で指は5本、すでに定められた中で何を成すか。
勝負は均衡し一歩も引けを取らぬ状況、飛車角落ちなどのアドバンテージなしの真剣勝負。出口のない密林に迷い込んだのか、膠着状態は続く。
私は至極マイペースに話を聞きつつ、大根を味噌に漬けてボリボリと食べていた。
いよいよ、我が親知らずを抜くこととなりました。