日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

独りぼっちのささじぃ 201608-201812

あたたかい春に自転車をこいで、蕎麦を食べました。

きれいとは言えないちゃりんこを借りて、嫁ちゃんと二人でサイクリングしました。ぼけっーとちゃりんこを漕いでいるのも、春の風を浴びてとても気持ちのいいものです。

「欲望は独りよがり」 その揺籃の中で生きた

そして、忘れることに違和感を覚えなくなる。そう思えなくなる、それはひとつの脅迫にさえなり得るのに。

「美しい文章とは何であろう」 止まない考察

日々、何を大切にして生きているか、そこに違いが生まれ作品に感性が吹き込まれる。

金曜日には夜の街へと繰り出してみました。素敵な出会いがありました。

その後は太陽のような存在、嫁が舞い降りて乃木坂へと向かいました。

「戦争の夢を見た」

棒みたいなのがあって、そこにしがみついていた。

「その瞬間」 一場面に・・。

いつの時代も変わりなく、憂いを帯びた瞳には吸い込まれそうになる。

まずは声を上げる勇気だと、土曜日は花の「新宿」へ。

無意識の瞬間の会話は快楽である。陶酔した状態でありながらも意識や理性は保持され、心を苛める。

日本語 形容詞

無邪気 嘲笑い 物事 横着に 欣喜雀躍 想いに 危機も

独り言 または 立ち話。

こういった前提への被疑から生まれるものは果たしてあるのだろうか。ぐるぐる頭を回していると矛盾を孕んでいることに気づく。

音の鳴る場所をうろちょろ、うろちょろ! 週末を振り返ろうの巻。

「写真で振り返っていこう」のコーナーです。

「4/11 幡ヶ谷」 ブースとフロアという二律的な構造はそこにはなかった。

生姜入りのそのラーメンのスープは温かく、満足感が体内に入り込んでくる。

マンションの46階、海の見えるベランダから

蠢く街に太陽は降り注ぐ。ビル群に反射し私はその光を浴びる。根拠や自信はほんのささいなことだ。

KダブシャインさんのTwitterを読んでいて・・&「ライブの雑感」

純粋に「正しいものが正しい形で伝わってほしいな」

「5/12(土) 怠惰さんのリリースパーティ」 & 「笹谷創のある目標」

場所はいつもお世話になっている蔵前4273です。盛大にできたらなーと思い、入場は無料にしました。

なるべく、みんなが良い方向に転がるように。

サイケデリックな世界に没入したり、朝から桜を愛でるために青いシートの上で寝そべってみたり、日常や非日常にご挨拶しております。

「ひからびた林檎」

部活動の帰りである彼らは、磯野カツオばりの元気さを持ち合わせ、大きな声でお互いを罵り合い高める。

いくら呼んだって返事がない、彼女の返事がない。

昔、祖母は「人は何かに依存しているのよ」と口ぐせのように言っていた。

「なぞらえる行為」によりだんだんと「完成」に近づく。

空想と現実、ドアノブに手を掛けた。その先には物語が待っている。

ここ数日のお出かけっぷり。充実した日々でございます。

「ささやかで慎ましい暮らし、かつ、成し遂げて生きたい」の混合物として進んでいきたい。

「喜び踊る夜」 と DJ紙ヒコーキ a.k.a 笹谷創 高円寺で回します。

「高ぶりはなく、骨に溶けこんでいるのさ」

生活リズムの編集、従事する私

「よそはよそ、ウチはウチ」子供の購買意欲を一刀両断する母のその言葉がふと浮かぶ。

「寒い日に」

ひとつの形を為すことは美しい。工程自体に付いた色はさらに鮮明になる。目標とは人間の暇つぶし、また、生の結晶であると。

週の頭から悦楽を感ずるゆえ

ただ朝は朝で紛れ、夜は夜で羽を休ませているのかもしれない。

アナログ生活始めました

なんでもなく、くるくる回るレコードに何の罪もなく。

最近、音楽について

社会から認められなかった彼女が唯一、認められたのが音楽。その後は大躍進、そしてドラッグにより27歳で亡くなったそうな。

笹谷創ことDJ紙ヒコーキ、soundcloud始めました。

自由意志の元の行動意欲は、従うべき行為に準じている可能性だって捨てきれない。

抽象ばかりではなく、具体性の溝を掘る。

今の所、自分の手は2本で指は5本、すでに定められた中で何を成すか。

小学生以来に将棋をしてみた。

勝負は均衡し一歩も引けを取らぬ状況、飛車角落ちなどのアドバンテージなしの真剣勝負。出口のない密林に迷い込んだのか、膠着状態は続く。

初めてのゴールデン街

私は至極マイペースに話を聞きつつ、大根を味噌に漬けてボリボリと食べていた。

ドラムを触ってみた日

いよいよ、我が親知らずを抜くこととなりました。