独りぼっちのささじぃ 201608-201812
人が人を支援し、喜び、悲しみ、ともに住み、別れ、殴り合い。生き物は生き物らしく
ワクワクさんが孔雀になったり、 「シャァ!シャァ!シャァ!エビーバーディ」状態でした。
濃ゆい濃ゆい七夕で、平成最後の夏、良きです。
お友達でラッパーの怠惰くんの楽曲の撮影をしようと、クラウドファンディングをやってみました!
の前を一生懸命に耕しつつ、遠い先の未来を想像し人生を彩る
曲聞いて、素敵だなあと思いまして・・、心がじんわりと来る感じが好きです。
聴覚、視覚、感覚。どの「覚」を揺さぶり、どう繋がりお目覚めするか。
都会では見知らぬ命があり、夜には梟が飛び自由を謳歌する。
見る方の解釈の自由性をうたっていた。納得の嵐。 ほっ、それはあの黙示録かのごとく・・。
いい夜は文章書く気が出ないという、怠りに甘えて。
「こ、こ、こやつは!」っと思わせれるようなアルバムを創る!がむばる。
タレには醤油やラー油を入れない。
「こうなることが決まっていたんだ!」というと、運命感じるおじさんの如くですが、あながちその通りでござす。
「堀りにいきたい、玉ねぎを!」
あまり言葉に対して過保護になると不健康のような気もする。
百聞は一見にしかず、いやはや、この場合は百文は一見にしかず。ということでございまして、週末の振り返りを写真にて。
東京、その喧騒はあわよくば時を忘れさせ、人が生きる路線をも変更する。
器に太陽が押し込められたのかなと思うぐらいの眩さ。
尻相撲をさせられたときのような恥ずかしさ!
否、実行と理論の乖離を乗り越え普遍的な樹木の設立。どの葉も違う色を備え立派に。
あれもこれも、この場所に来て感じたことです。外に出れば、何かしら発見できる人生は、そのようにできているようです。
ネットを上なめずりしたところによると、ミニマルミュージックというのも、現代音楽に分類されているそうです。
染み付いた性質に一番リアリティを感じた。
子を主役に置いた家族はかけがえがなく、素晴らしかった。一つの核となり表情は統一されている。
駅前にある歯医者へと向かう。お世話になっております。「痛くないですか」と凄まじい頻度で聞いてくれる、少し高須クリニックの院長に似ている、院長に感謝。
賛否両論あるかと思いますが、満たされた日々に芸術はないように感じる。
季節の変わり目には美しい情緒が添う。それは数分もあれば感じられ、身体に変化が起こったと錯覚を起こすほどだ。
来ていただいた人にとって、あの場所、あの空気感だからこそ話せた会話などがあれば、開催者として非常に嬉しい限りです(^^)
人があってこその、ずっと残るようなそんな日にしたいと。何卒、よろしくお願いします^^
ある一瞬のどこかの国のどこかの集い、その記録は距離を超えて僕の耳に届く。