日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「回廊日記」 2021.04.30

『回廊日記』

 

日記を書く。4月30日、午前7時。昨日の雨はあがり晴れている。
ふと窓をのぞくと緑色のセーターを着たおじさんが自転車で横切る。

おじさんはペダルを踏み込み車輪を回転させ、新しい場所への移動を続けている。
変わるがわるの景色を楽しんでいるのかもしれないし、頭には考え事がいっぱいあり、緑のおじさんにとって周囲の景色は"ただ存在しているだけ"なのかもしれない。

それは自分にはわからないし、当人にだってわからない可能性がある。そんなことを冒頭から記していると、下記の表現へと導かれていると気が付く。

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「生きるということ ただそれはここにいるということ」
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きわめて個人的になるが、この言葉は普遍性を帯びているように感じられてならない。状況や属性を一旦外せられる、善でも悪でも理性でも感性でもない、広大な抗いようのない一節。

 

ある日、朗読する詩人が携わるオンライン番組に参加した。同番組で各々が詩を読んでいる中、朗々としたア・カペラが響き渡った。

「生きるということ ただそれはここにいるということ」

 

歌いあげたのは北海道で活動される詩人・福士文浩さん。
平易な言葉でありながら、強烈なメッセージ。気持ちのリセットボタンに記されていてもおかしくはない。(ありがたいことに、福士さんからはたまに苫小牧での除雪作業や道路の横に咲く一輪のフキノトウなどの写真を添えたメッセージをいただく)

 

この一節を耳にした私は早速「自分の楽曲に使用させていただきたいのですが、いかがでしょうか?」と福士さんにコンタクトを試みた。ご快諾いただき『To live』というタイトルの曲が誕生した。

open.spotify.com

 

UB40のアルバム『Promises And Lies』を聴きながらブログを書くこと30分。ただいま午前7時30分。どこまでも続く地平線、緑のおじさんはまだ自転車に乗っているのだろうか。そして、ぶ厚めのセーターは暑くなかったのだろうか。

 

(写真:東京・渋谷の family の壁)

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4.30 忘備録

食糧徴発

クラーク (農家) - Wikipedia

知ってるようで知らない運河の定義

ロシア・アヴァンギャルドが目指したユートピア。革命とともに生まれた前衛芸術運動とデザイン | おすすめ書籍 | nostos books ノストスブックス

 

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 炎にとりこになる歯車は いかがわしい頭を 粛清していくのだろう

 

「回廊日記」 2021.04.28

『回廊日記』

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殴られたような雨の跡

天使が迎えにくる

サボテンにも似たアルパチーノ

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上記は「すべてのi Phone上」に残されていたメモ。アルパチーノ監督のどこにサボテンの要素があるのか、メモをした本人も不明な状態である。

 

深夜、ただいま午前2時。踏切に望遠鏡は担いでいかないが、台所でビールを浴びている。(麒麟さん、お世話になっております。)

先ほどお手伝いしている友人の i 氏の作品の途中経過が届いた。なかなかに「斬新」だ。この斬新という表現は"感想が思いつかず、その場をやり過ごすために使用する類のもの"ではない。いつもi氏に通底している観点や感性がいい意味でよくわからない。ゆえに面白く。

 

はてGWは何をして過ごそうかと。変異株も猛威を振るい出しそう。ただ、家にずっといてるのも触れるものが少なくて情報統制されている気分である。情報統制されている気分とは一体どんな気分なのか、明瞭にならないまま、布団に滑り込む。今日は何をしていたか、何もしていないか、それさえも特に覚えていないが、本は購入した。積んでは読んで、読んでは積んで、読書の日々。

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公私混同 雨あられ

避けては通れぬ閻魔様


堕落の扉に手をかける束の間の休暇

さあ 労働だ 懐古主義の諸君 

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4.28 忘備録

憲法と法律って同じようなもの? - 仙台市泉区の法律事務所 あやめ法律事務所 弁護士神坪浩喜 弁護士林屋陽一郎

ソ連の歴史2=内戦と一党独裁 FC2 Video - YouTube

コサック - Wikipedia

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「回廊日記」 2021.03.29

『回廊日記』

 

先日、superpianoman のライブを観に行った。今、ギターの練習をしているが、どれだけ上達しても superguitarman と名乗る勇気はない。superpianoman ではないが時にパンチが効いている活動名の方に出会う。まず頭に浮かぶのがペニスハンモック※1さん。どうも、どこかに「・」をつけたくなる。

 

ペニ・スハンモック

ペ・ニスハンモック

ペニスハン・モック

 

※1 下北沢のイベントでご一緒させていただいたが、端正な顔立ちでとてもセンスが溢れる方でした

 

今のところ、ペニスハン・モックが秀でている。語呂が気にいっている。しかし、この問題は人によりさまざまな気がする。ペニスハンモックさんのどこに「・」をつけるかでその人の気質がわかる的な性格診断の要素があるのかなとか思いつつ。これはどこで一呼吸を置くのか、その人の『間のとり方』が見えたりするのだとか。

(皆様はペニスハンモックさんのどこに「・」をつけますでしょうか。)

ペニスとハンモック...この妙なバランスには覚えがある。明治生まれの俳人、尾崎放哉の句『素晴らしい乳房だ。蚊がいる。』を耳にした時と同じ感覚だ。

 


乳房に蚊、ペニスにハンモック。

直観の域を抜けないが、これら二つのバランス感は同等のものと思う。ただ、ハンモックに男性の急所をのせるのは本人の意志であるが、乳房に蚊が止まるのは外的要因(蚊の気分次第?)である。この点を考慮すると前言撤回、バランス感がまた変わってくる。


夜の風が気持ちいい季節、ペニスハンモックさんのどこに「・」をつけるかを考えながら、今日はゆらゆらと眠ることに。 

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