「移りゆく日々の随筆」 ある意味で人間らしく心象を綴る。
移りゆく日々の随筆
週末の余韻を感じていると、もう火曜日であります。
慈しむ間もなく、日常は平均に集約されていく次第でございます。
労働に従事しながらも友に心を開き、充実した日を過ごしております。
理想自体がどんどんと動くので、おいかけてもおいかけても追いつけません。それでも、何かに近づいていると思うわけであります。気づけば桜を見ることもできず、4月は過ぎ去っていきます。
将来のための蓄積と言い聞かす一方、現在地点で満足を感得できぬならばそれは未来も同じと心が告げにくる。自己は過剰なまでに揺れ海を渡る。ただそれも原風景であり、特に気に留めることもない。
東京にきて2年ちょい。
少し思い返せば、色んな面白い人に会ったなと。
その瞬間は無意識に無邪気に向かい合っている。それは深い関係性とでも言えるものでもない。日常的に連絡なんて取るものでもないけど、ふとした時に「元気しているのかな」とか思う。
自らの記憶を頼りに思い入れを形成し、ただ過去を賛美しているだけなのかもしれないけど。
数年前の常識や感覚も取り替えられている。
東京に来て、当たり前の数がすごく増えたと感じる。それが何?と考えても当たり前に埋没して顔を出さなくなっている。東京に来てから本もたくさん読んだ。人類の歴史、文明のあり方、社会の規則について以前よりは知っている。
「知っている」は活用に含まれるのかどうかについては、不分明なままだ。
数年前に、おじいちゃんに宛てた手紙を読み返してみた。若くて浅はかだけど、必死に頭を巡らしているのだなとは思った。相も変わらずそれは継続していきたい。
こうやって随筆の力を借りて決意をピカピカに磨かないと、惰性が「ごめん遊ばせ」とやってくる。でも、たまには、惰性くんも家に入れてやる。
「文体と歌声は同じところからきている」 影響と分析とスタイルについて
手島葵と書いて奇跡と読むのでしょうか。
高尚的であり、清らかさも不憫さも兼ね備えた歌声です。
手島葵を聴覚に有しているときと、高級なホテルの一室にある真っ白なシーツに包み込まれたときは同じ感覚です。
侵してはならぬような処女性がたっぷりなのです。
歌声と文体は同じところからきている
やたらと突然ですが、歌声(歌い方を含む)と文体って同じだと思うんです。
だからなんだというわけでは一切ございません。
自分のスタイルを作りたいとき、歌い手は好きなアーティストの歌い方を模倣しようとする。意識的ではなくとも、影響を受けているわけであります。
もちろん、模倣してもその人にはなれません。結果から言うと、影響を受けた人+自分の歌い方がミックスされます。自分の歌い方は何によって決まっているのか。
それは感性、性格、思想から出来上がっているように思います。この辺りは的確な言い回しが思いつきませんが、大体そういったものから成り立っています。
何かそういうのは、同じところから端を発していると思われてならないのです。
自分と全然違うスタイルの人を模倣しても、何か落としどころに困るような気がします。これは、そっくりそのまま文体でも言えますね。言葉では表しづらい根源的な「何か」、心というのか種というのか、結局そこが判断しているのでしょう。
今回は小説家とアーティストを例にとりましたが、技術的なものであれば大体どの職業にも言えることでございます。「何を当たり前なことを抜かしてけつかる」と思われるかもしれませんね。
自分の話をすると「スタイル」をたくさん収集して、良さそうなものを自分に突っ込んでいく!という感じです。基本的に圧倒的にセンスのない自分は、分析だけは怠らずしてきたように思います。微妙なニュアンスを汲み取り鍛える。
なぜ、そんなことをするのか。
「自分で自分を納得させるために」・・というと、月並みでございますね。
分析癖は生きにくくさせる要因にもなりますが、個性を普遍性に変えるためにはそこを乗り越えなければならないのです。そして、手島葵の歌声に乳房が揺れそうです。
最後の一文、申し訳ありませんでした。
「堀口Hくんの詩心が炸裂」 【素晴らしい乳房だ。蚊がいる。】の一行で川へ行きました。 後半
菅沼神にボールが集まってくる
ちょうど一週間前ほどに書いたこのちぶかがの記事。
簡単に状況を説明すると
「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」でBBQをおこない、式部ちゃんが乳房に巻き込まれて、生キャベツで盛り上がって、怠惰先生が来て仕事がはかどって、菅沼神が自然に帰っている状況でした。
菅沼神のすごいところは、話題を全部かっさらっていくところです。
そう、菅沼神に自然とボールが集まってくるのです。
民である私たちがぺちゃくちゃぺちゃくちゃやっている時、菅沼神は海を見つめています。ベールに包まれまくっています。
自然主義な菅沼神、ちぶかが内でピアノが超うまいと噂が流れていました。
「弾いてみて」というと、なんだかんだ弾いてくれません。全然弾いてくれないのに「まあいっか」と思わせられてしまいます。
一眼レフを与えると自撮りを始めます。菅沼神の本質はギャルです。
全然関係ないタイミングでキーボードを5秒くらい弾いています。
その5秒でずば抜けていると理解しました。
この写真も不思議です。往年のアイドルのセクシーポーズにも見えるし、リビングでくつろいでいるおっさんにも見えます。合成写真にも見えます。菅沼神の本質はだまし絵です。
このままいけば菅沼神にブログを埋めつくされてしまいそうなので、BBQの話に切り替えます(´Д` )笑
堀口Hくん 詩のセンスが炸裂
そうそう、川辺で曲作りをしていました。
ここで、やっと堀口Hくんの詩のセンスが炸裂しました。これは自分には書けないなと。
庭木に目をやり 昨夜を想い ざわつき
微かな後悔混じり 白日はいつだって気恥ずかしい
知らぬ間に苔青々と 季節の充実を告げる
せわしなさの中でも
素晴らしいの一言。ここは本当に尊敬っ!!
最後には、怠惰先生とH(堀口)くんと私で詩を共作したりしました。
わてらは、文学部かっ!!!!
とまあ、平和にBBQは終わりました。全体的に楽しかったです(´Д` )b
そして、哲学的で高圧的じゃない書道家と革新的で高圧的じゃないデザイナーを乳房に巻き込みたいものです(´Д` )。。
乳房、乳房、とはなんぞやという方のために、これまでの「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」の歴史を載せておきます。
1.「ちぶかが」発足
2.「ちぶかが」盆栽村にいく
3.「ちぶかが」 メンバー増殖
4.「ちぶかが」シンポジウム開催
4.「ちぶかが」BBQ前半戦
ご拝読ありがとうございました(´Д` )っ
ぴげらざ(´Д` )つ