日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

解けず、夢のうちに溶け、膨大の記録は記憶に焼きつき、時刻は16時近く、記した。

2020/04/23

 

晴れた日の平日、外は綺麗に晴れている。窓を開けずとも春の陽気とやらは、やってくる。家にいる。ひたすら音楽を聴く。あらゆる隙間をスキットのない音楽で埋める。素晴らしいアルバムがこんなに世の中にあるのかとつくづく感じる。一つ一つの音が鳴る。外に出なくなって余計に感じる、音は愛しい。人間関係の複雑さは音にも存在すると思うのは、偏愛だろうか。


打算のない泥くささや極上の耽美、引き出す力のある、想像力を働かせてくれる、褒め言葉を挙げればキリがない。音は連なり音楽になっていく、愛すべき横軸や縦軸、そばにいる。ハッタリ、いくらいい格好をしようと、また、思い込もうとしてもバレる。それは幼い子供の目の奥のよう。正体や状態を問われる、まやかしのない。

曲解なのだろうか。信じているものは信じたい、平日の午後。


一昨日、長年の付き合いのある人から電話あり。10分足らずの会話でも同じ穴の狢。

解毒剤のような、おてんば娘のような、手に負えずとも追う。解けず、夢のうちに溶け、膨大の記録は記憶に焼きつき、時刻は16時近く、記した。

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