唯脳論を読んで、
唯脳論を読んで
機能。「音がなる機能」そのものを見られるわけではない。
機能というのは目に見えるものではない。言われてみれば「その通り」といった感じだけど、「機能」や「性質」という行動や現象によって規定されるものに、よく名称がついたのだなあとやたらと感心。
猫とか犬とか、あるモノや現象の共通項を見つけて、名前はつけられるものだと思うんですが、機能や性質というのはどういう共通項でまとめているのか。機能はその「働き」に着目できそうだが、性質とは。特徴か、であるならば、特徴とは。
特徴はある基準があって初めて生まれる相対的なもの。怒りっぽいという特徴を考えてみる。怒っているようにみえる回数が、その人が生きてみてきた人に比べて多い。つまり、ある主観における頻度の高さや低さから導き出される。
その主観は自分の経験や感覚(大多数の人が担う価値観が内蔵されている)である。
と、養老孟司さんの唯脳論を読んでなるほどなあと思いながら、考えた。
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今日は渋谷で式部ちゃんのバックDJします!
世界観満載なんでぜひともおいでやすです。
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自分の構造の分け隔て方が、いつも同じパターンの気がしてならない。「その話、きちんと前提があって、初めて成り立つってことよ!」というパターン。
もっと、暗記的な読み方がいいのか、性質に対して「純粋にすごっ!」と好奇心を膨らませるのがいいのか(膨らませようと考えている時点で純粋は失われているけど)、ああ、メタ認知。
あと、この本を読んで面白いなあと感じたのが、視覚は時間を疎外し客観化する、聴覚は時間を前提として内在化する、ということ。
めっちゃ端的に書くと、例えば、写真。「瞬間を切り取ったもので、そこには時間が流れてない」ということ。
写真ではなく現実世界を見た瞬間の場合、人間側(見る側)からすると時間が立つようには思うけど、現実世界の見られた側からすると時間は内在していないというのは頷ける。その景色は永遠に存在する。
逆に音には時間が含まれる。音楽や音はいつか終わる。
後半は何を書いているか読み解けなかった。と、そういう曖昧に挟まれながら、感覚の強度をあげて、芸術に向かいたい。
いい本に出会えた。
養老孟司さんの本、初めて読みましたが、オモローでした。