考えるとは
考えるとは何なのだろうか。
生きることと同義語なのか。苦悩と快楽が交わった誇り高き行為なのか。美しき抒情詩のように羞恥の部分が含まれるのだろうか。口に出さず解釈することを考えると呼ぶのだろうか。また、回答のない問いに目星をつけることだろうか。構築された概念を解き明かしては紐付け社会に還元していく、その行為の入り口の役割を果たすはずが、「考える」そのものの沼に溺れている。それらをつらつらと書き付けた言葉たちは考えるの表象となり得るのか。
その頑迷を作品に昇華する。すでに前段階である言葉たちを消化してしまっている。これは瞬間の感覚の備忘録であり、広く自らに語りかける。文字に起こしたその時に感覚は沈むのだろうか。感覚と思考。判断に駆使する感覚を思考が支えているのか。たちどころに現れる尤も深きもの。風景描写が心に響くと知れど、色のない文章はひたすら続く。