知らないことを教え合う、それの広がりでいいと思う。
音楽のことばかり考えていると、言葉や文字をつづることを忘れていた。
感情はある種、点線を沿って流れているのに、言葉に落とすことができなくなる。不思議な感覚。何かを選び取るとは、何かを捨てること。
そこに悲観することなど、まったくない。お互いの特質を生かして、補い合える関係こそが良好なのではないだろうか。キャラクターはシンプルにコミュニケーションの窓口であり、看板みたいなものだ。そのサインを受け取り、その人のペースを尊重する。
補い合える、相互的なこと。人間が作った音楽に学び、人間に助けられる。もっと視野を広く言えば、それは人間だけではない。やはり"共生しているという意識"は人を人たらしめるものなのではないか。正解などなく、自分自身が納得するものに意味をもたせるだけ。たまたま、それがお金儲けだったりアートだったり。別になんでもいいと思う。それぞれの生き方。
偶然そうだっただけ。上も下も何もない。
だからこそ、教育というのは非常に難しいものなのかもしれない。考えすぎても何もできない。考えなさ過ぎてもよくない。塩梅。
知らないことを教え合う、それの広がりでいいと思う。
週末を振り返り
そして、週末を写真で振り返ってみます。ひたすら音を浴びた。
音楽みたいな人間になりたい・・。音楽みたいな人間?(ちょっと待てぃ!って千鳥さんに言われそう)
EARにて百花繚乱。
開店前
かずきくん、ライブ
なんだかんだあって、
セーラームーン...!!
日付変わって中目黒solfaへ。
ミラーボール
ライブペイント
そんなしけた顔してどうした。力になれるならなりたい。
執筆しているという意識もなく言葉を綴らせていたのは悲哀や感覚だったのか。満たされた感情は次の言葉を消していくのだろうか。心に溜まるものもない。すべてはするりと流れていく。心象は形を変えて表現となるはずが。
それを淀みなく循環させることは、つまり、インとアウトの交差する点に居ること。統合されてひとつの、そのもの自身がそのものになる。栄枯盛衰、資本主義をなぞらえた上での結果は死ぬ直前にどういう作用をもたらすのか。
世は移る、人は移る。
うつりゆくその中にいるならば、まだ見ぬ世界へと、
人々と感情を共有しながら、没入していく体験に価値を感じる。
そんなしけた顔してどうした。
力になれるならなりたい。
心象記2
人にはその人の律がある。 その律を愛して。
超素敵な場所を発見した。
権力とは恐ろしいまでに程遠く、純粋に良い音楽がひたすら流れているという。DJとかをみていて、「好きや」と思う人は、詳しい詳しくない、うんぬんかんぬん以前に「好き」が雰囲気に現れてしまっている人々だ。
決して大きくない箱、しかし、心の根から好きな人々が集えば、それは必然的に良い一夜になる。人のことを放っておかない。見せつけるのではなく、共に創っていく。圧倒的に見せつける、それは自然体以外だとあまり心を掴まない。自然とそうなるものである。
初めての人を置いてけぼりにしないような一期一会の出会いがあり、自然と共同体を形成したいという意識が湧きました。イベントというのは人が作り上げるものと、改めて感じた。
そして、・・日をまたぎ今日、圧倒的なパワー。犬式の三宅さんとローホーさんという完全なるファンでもあるお二人が出るイベントへ。なかなかのカルチャーショック。抑圧からの解放。ブラックミュージックの真髄を感じました。また、自分は自分の音楽やろうとより強く思いもしました。そして、こんなこと言うのもあれですが、アホになり上手を学んだ。自分がアホになるとは他人を慮る行為に思えた。
人にはその人の律がある。
その律を愛して。そして、気がつけば自分にも胸を張って誇れる同胞がたくさんいる。