人にはその人の律がある。 その律を愛して。
超素敵な場所を発見した。
権力とは恐ろしいまでに程遠く、純粋に良い音楽がひたすら流れているという。DJとかをみていて、「好きや」と思う人は、詳しい詳しくない、うんぬんかんぬん以前に「好き」が雰囲気に現れてしまっている人々だ。
決して大きくない箱、しかし、心の根から好きな人々が集えば、それは必然的に良い一夜になる。人のことを放っておかない。見せつけるのではなく、共に創っていく。圧倒的に見せつける、それは自然体以外だとあまり心を掴まない。自然とそうなるものである。
初めての人を置いてけぼりにしないような一期一会の出会いがあり、自然と共同体を形成したいという意識が湧きました。イベントというのは人が作り上げるものと、改めて感じた。
そして、・・日をまたぎ今日、圧倒的なパワー。犬式の三宅さんとローホーさんという完全なるファンでもあるお二人が出るイベントへ。なかなかのカルチャーショック。抑圧からの解放。ブラックミュージックの真髄を感じました。また、自分は自分の音楽やろうとより強く思いもしました。そして、こんなこと言うのもあれですが、アホになり上手を学んだ。自分がアホになるとは他人を慮る行為に思えた。
人にはその人の律がある。
その律を愛して。そして、気がつけば自分にも胸を張って誇れる同胞がたくさんいる。
創作にとって情報を得るとは新たな素材を貯蓄すること
とにかく感情から逃れるため、言葉を浴びていた。それは同時に感性を高める行為に成っていたように思う。最近は全くそうじゃない。純粋なる知的好奇心。そこにあまり自我が入り込んでいない。これは年齢の賜物か、感覚の頭打ちか。
甚だ不鮮明ではあるけど、情報が感情をあまり伴わずに入ってくること。驚愕。結びつける発想力の前の、結びつける素材を知ること。情報を得るとは創作にとっては、新たな素材を貯蓄することでもある。あまり目的めいたものにすると、純度が下がるけども。骨組みとしての抽象的な概念まで落とし込まなくても、具体的な情報をそのまま丸呑みにする感じでいければと。
それは、執着をシンプルな力に変換する作業でもある。執着はとてつもないエネルギーを持っているけど、雁字搦めになり独断的になりやすい。
動的平衡という言葉がある。
以下は生き方を動的平衡になぞらえた生物学者の福岡伸一さんの言葉。
”川はいつもそこにあるように見えるが、流れている水は二度と再び同じ水ではないとしている。そういうものとして生命があるのが動的平衡で...”
わたしとあなた、影響し合う関係性は同じなれど、時間が経てば全く違う人同士である。執着はそう言った自然な関係性を止めてしまう可能性が高い。変換するならばあくまでもいい方向に。
心象記 1