居に安んじ、業を楽しむ
2019年7月31日
私にとってはめずらしく仕事が長続きしている。脳天に雷が直撃したというような幻想的な閃きに身を任せては、さもありなんといった様子で労働を放棄していた。数年も経過すれば人は変わるものだ。精神の安定から生まれたのか、毛ほどの興味もなかった経済などに興味が湧く。池上彰氏の「優しい経済学」などを読み、基本的な仕組みを頭に入れる。
一周目では、その仕組みもかすかにしか残っておらず。現在、二周目に突入し、こぼれ落ちた記憶を拾い集めている。かつての私は、こぼれ落ちたまま、全くと言っていいほど関係のない本を手にとっていた。断片的な記憶にもならないものを頼りに、いつも創作に走った。曖昧な考えの素から生まれた仮説を重ね、抽象という言葉に頼っていた。それはさほど変わらずとも、一般的な教養レベルの知識を得んがために、現在、万里一空の精神である。
ところで、夏場における混みあった電車内は地獄である。意識が薄らぎ倒れようにも、周囲に支えられる始末である。今日は作曲を教わる日である。メロディは浮かんでいるものの、そこからしばらく停滞している。そのきっかけを探しに大宮を下ってみる。