日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

気分 解釈 身のこなし 昨日の歌詞 理解されなきゃ奇行となり

今日は録音デイ

 

金曜日、土曜日と高揚感に包まれすぎたため、お風呂やさんに行った。

サウナと水風呂の連続にスッキリ。だらけすぎても、高まりすぎても、平然へと沈めない。なんと、それは忙しい。感情のままに行動するのではなく、感情と行動を切り離し。年を重ねるとパターンを覚え、それに沿っていけばいいという妥協的な時間の消費をしてしまうのか。それは、良いのか悪いのか。高揚と怠惰の天秤はいつどちらに傾くかさえも、記憶してしまう。開ける引き出しさえ間違えられなければ、生活できる。

 

形状記憶を探し当てて、日々の時間を過ごしているとも言える。知識も蓄えられるように、感覚も蓄えられるのではないか。ただ、言語化できないから同列に思えないだけだろうか。

  

今日は家に引きこもりっぱなし、一気に声を録った。

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全然、完璧にできない。録音しているとどういったものがそもそも理想だったのか分からなくなる。どれを味ととり、どれをミスととるか。何をどれくらいの基準として、OKとするか。しかし、まあ、一区切りだ。新しい曲を作りたい。3、4年前に作ったのだから、許可を信ずる。

 

千の数の善と悪も自然となく 未練となる悲劇に機嫌を買う

気分 解釈 身のこなし 昨日の歌詞 理解されなきゃ奇行となり

 

なんだか、昔、自分が書いた詩を眺めてみる。

なんか若い。単純なんだとは思いつつ、きっと、もう、「ない」というラインは超えられているはず。客観的に聞けなくなる。一日寝かす作戦にでよう。

ああ、積もってくるものを吐き出したい。明晰さとは違うところで、吐かれる言霊に揺れて喰らう。ぬぼっーとする。深呼吸しよ。はっけよいのこった、のこった。分かれて裂けるのか、別れて避けるのか。