独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「下手」は「上手」と同じくらい魅力がある!! いい「下手」は「らしさ」と言い換えられる。

創る話

 

最近、映像をよく作っていますが・・めっちゃ直感力いるなあと感じる。 

作るときにいい映像を組み合わせれば、それはいい映像だけど、いい作品になるかどうかはわからない。(MV作るときの話です) 

音と映像のハマり具合の良し悪しは己の胸の中、もはや感性次第でごわす。音楽は理論という枠組みからのずらし方とかで考えられそうだけど、映像って基本となる理論とかるのかな。

 

コンピュータ学園のCMがかっこいいねんからそれはあるはず・・。

映像の専門行く人って基礎として何を学ぶのだろう。デザイン的なことなのかな。

しかしながら、どの映像をハメるという発想は映像の基礎とか関係ない。作るとは選ぶことというのが私の持論です。

音楽を作るときも言葉を選んできてそれを自分で判断している。

借り物競争だ!!!いや、競争ではない!!!

 

色々と選んできて、それの全体の統一性だったり、バランスの妙だったり、足したり、引いたり、感性が物差しです。ビビッときた時にハマったらやはり嬉しいですね。

 

もっと良きものにするために、「面倒くさい」を乗り越えないと。基礎力はいくらあっても損はしない。「選ぶのだから、シンプルに多くの選択肢を持っている方が可能性が高いじゃないかい」と思ったりするけど、何かこの理論は破綻してそう。

 

選択肢の中に使えないものが増えているなら、可能性は増えないと思ったけど、

一見使えないものをどう使うかだ。「下手」には種類があると思う。

言ってしまえば、センスのある下手とセンスのない下手があると思う。

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「下手」は時に「上手」か、それ以上の魅力がある。いい「下手」は「らしさ」と言い換えられる。少しの下手さもない上手さには惹かれないような。下手って不思議。