独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「夢や愛はキラーワードだ」 友人が発した一言から抽象と具体について考察

抽象と具体について

 

友人が「夢や愛はキラーワードだ」と言い放った。

キラーワードの意味するところは、人により解釈が変わるということです。それらを歌詞に入れ込むと想像の幅を広げられるのです。聴いている人により解釈の拡大や縮小のおこない方が違うという理由からです。

 

自分の見解としてキラーワードは、いわゆる抽象的な言葉です。

抽象と具体、何かを表現するなら大切になってくる考えでごわす。抽象は自由な解釈と共鳴します。

 

「神隠しに遭った唯一を披瀝する」これは抽象でごわす。

披瀝するの意味が、心の中の考えを打ち明けることであります。

「心」は目に見えなくて、解釈が人それぞれです。という理由により、抽象になります。

 

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それでは、具体はどうでしょうか。

効果としては、よりリアリティが増すと考えられます。ちなみに、生活は具体ですね。

 

「今日も母親は洗濯に精を出す」これはかなりの具体です。

その前後の文脈にもよりますが、生活を具体的に示すとどこかブルースを感じますね。

口でどう言おうが、何を書こうが、生きている以上は「生活」しているわけです。

 

最近、世の中のどこかにブルースがあるのかを探しています。あり方自体をブルースと呼ぶなら、そこら中に潜んでいるはず。

 

具体に目を凝らすとブルースは発見できるのではないかと、思う次第です。

 

最近、ハミングウェイの小説を読んでいましたが、ブルース感が半端なかったです。登場するキャラクターが荒々しい。廃頽と享楽を癒着させています。その中の会話がやたらと「具体」なのです。

 

「やあ、酔いどれ先生、よくきたな」とマイクが言った。

「腹がへって目がさめたんだ」

「スープでも飲めよ」とビルが言った。

 

「なるほど、なるほど」と思いつつ、このような話に興味ある人がいるのかなという心配はいつもしています(´Д` )。。

 

もはや独白になりつつありますが、それでも思ったことを記しておくのです。

証人はその瞬間の自分です。「お黙り」という声が日本全国津々浦々から聞こえてきそうですね。

 

いやはや、人と話すのは発想に身を付けるためにも大切でごわす。

考えるキッカケを与えてくれるわけです。友人が発した「夢や愛はキラーワードだ」をきっかけに、文章が綴られました。

 

具体と抽象を広げ、伸ばし、叩き、壊し、創る。

 

ヘゲオと街角の乾杯(´Д` )!!