日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

【めっちゃ宣伝!!!!!!】 10曲入りのビート集をデジタル配信します。

配信

 

創っていたビートを10曲、デジタル配信します。良くも悪くも完全に「笹谷創」でしかありません。似たような感じに飽きた方とかにはきっと新鮮よ。

ジャケットの絵は篠原明美さんに描いていただいたものにしました。そう・・、自分のおばあちゃんにもらった絵をジャケットにしました。おばあちゃんをアーティストとしてみるのは、なんかむずがゆいけど、陰鬱さを調和してくれる、理解した上で、袈裟にいえば皮肉を忘れずに包み込む力があると思います。 

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i tunesとかspotify などなどに配信する予定、また詳細は追ってブログでお伝えします。

と、日々ビートを作っているので、ラッパーさんやdeejayさんと面白いことしたいです。独特なオケがお好きな方、よろしくお願いします。(関係者各位にはゴリゴリと・・、送らせていただきます!)


来年は思考や感覚が基になった創作物をどんどんと発表していければと。同時にお宣伝する方法も考えなければ。元こんにゃく屋さんの営業マンとして。

 

 

制作中


歌っている方のアルバムもシコシコと進行中です。

さらに、総合芸術家集団「auly mosquito」のホームページもできそうです。
アウリーホームページは、音楽や衣服、詩など、自信を持ってお届けできる良質な創作物が買えるように整備中です。インタビューのページも作ったりしています。
みなさま、アウリーくんをよろしく頼みます。(運営、手伝ってくれる人も常に募集中です(˙⌓˙)、!!)

アウリーくん、色鮮やかです。

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EARでやっているイベントも表現の場として実験的要素を強めたり、いい空間にしていく。2019年は、お宣伝させて頂きたいことがたくさんたくさんある年になりそうです。


周囲の人々を大切に、それは、合わせるとかではない。

 

 

 

日本語に感情は宿り、奥ゆかしさや情緒に身を預けてみる

 

 

既視感がすごいですが、james brownさん、とんでもないです。音楽を身体で受け止めている感!音楽のアプローチは様々ですが、音楽をここまで受け止められるとは。

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ああ。

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比べても無意味とは知っているが、参考になる。何をしたいかと何ができるか、そのどちらもみてどこを削ぎ落とし、どこを尖らせるのか。そのまま、輸入しても仕方のないと思ってしまう。やはり、日本語を駆使した音楽へのアプローチは必要。すでに日本語に感情は宿っているのだから、奥ゆかしさや情緒に身を預けてみる。

 

と、考えるが本質はそんな細々したことではないのかとも思う。パターンの組み合わせで表面を掬い上げても、結局、良いものに辿り着かない。言葉に力がある、それは極端にいうと中島らもさんのライブ。音楽の為の音楽ではない。表現とはそういうことなのか。

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「音」という最小単位で捉え、発想を使う。音を選ぶこと(DJ)と自らが音を使い表現すること(歌う人)は心持ちも大きく違ってくる。好きなこと、悩ましくとも、懸命に向き合う。

 

写真はふらっと寄った吉祥寺cheekyさんにて。

ラッパーの鬼さんの公開リハーサルを人知れず覗いてきました。

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姑息なネズミは、暇を持て余したネコにやられるばかり。

相互

 

前についている目、ふたつ。
監視されている時も、悦楽に溺れている時もその目は感情と乖離している。

「映像はひたすら流れても、何も見えちゃいないね」買ったばかりのカップ麺の汁をすすりなが武史は言う。彼が心に持つプライドをぶった切ってしまおう。紛れもなく高尚ぶった俗物である。


「世にはフリをしているもので溢れているわ」きつい目をした京子は喉をゴクリと鳴らし、言葉をもらす。言葉とは裏腹に、真実ぶった言説をオモチャのように扱う武史が可愛くて仕方なかった。恋愛における極意は、ずれているという相互作用であり、それぞれがその事実を理解している憎らしい状況である。

 

言葉を駆使した駆け引き、安直なゲームが目の前で行なわれている。京子は目鼻立ちがくっきりとしている、明からさまな美人。武史はエラが少し張っているため、豪傑なイメージを持たれやすい。身体的な特徴さえも彼らに何かの「ふり」をさせるのだ。

 

「姑息なネズミは、暇を持て余したネコにやられるばかり。だけど、生の尊さは性質や特徴にはないのさ。つまり、ネズミは十分に生きたんだ」武史は早口で言う。

「何がつまりなの。武史の言葉は機械で無理に揃えたいびつな粒みたい。虫唾が走るわ」

「そんなに言わなくたって、姑息と告白した上に・・、泣きっ面に蜂だよ。僕は」

 

後筆

上記の支配には、優越感が含まれている。人は自分がコントロールできている状況に幸せを感じる生き物である。武史と京子、本当に支配されているのはどちらか、それは考えるだけ野暮である。コミュニケーションを客体化すれば、それはズレを生かした相互的作用を発生させることだと気がつく。

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