日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

移動手段は腕の中、人生の半分は夢の中に。

2020/04/14

 

一昨日から赤ん坊が家にきた。3人暮らしが始まった。突然泣いては、母親を困らせる。大泣きしていたのに、哺乳瓶を口に入れるとピタリと泣き止む。先ほどまでの涙は何だったというのか、ミルクを飲む姿は本当に可愛い。リスのようである。

 

私は、衣服を着替えさせることが出来ずに、あたふたしている。その"あたふた"に対する誤魔化しではないが、加山雄三のレコードに針を落とし、娘にはとにかく大将の声を聞いてもらっている。泣いたり泣かなかったり、周囲のペースなどお構いなし、そのあまりにも剥き出しの状態。褒めてやりたいほどの。見習う対象がすぐそばに。


移動手段は腕の中、人生の半分は夢の中に。

f:id:sasaworks1990:20200415003029j:plain