少しの「公園観察記」
2020/05/05
地面に折れた木の枝が落ちている。蟻がその上を移動している。時に下側にもぐりこみ、ぐるりと回ってみせる。悠々自適に生活する人たちのような、自由さがある。また、地面には無数の葉が落ちている。ほとんどは枯れているが、そこに太陽の光が差して明るい印象を私に与える。
風に揺れる木々の葉は、麗しい女性が身につけたイヤリングのように、枝から垂れ下がっている。白と青の色をした空と黄緑の葉が対照的であった。
私が公園に到着してから小1時間が経過するがブランコには、まだ誰も乗っていない。他の公園と同様に、たくさんの子ども達がジャンプし、このブランコの前にある棒の柵を越えていったと予想がつく。
近くには女性がいる。麦わら帽子にワンピースの服を身に着け、虫捕り網を肩にかけ歩いている。私はサンダルを脱ぎ、ベンチの上で胡座をかき、辺りを見回し園内の観察を続ける。描写、風景を言葉にしてみた。
風に揺らされるものと、そうでないものが印象的であった。
本当の原因などわからない。
2020/05/04
本当の原因などわからない。それでも解決しようとしなければならないし、そうするのが良いと思う。原因は確定させるのではくて、仮置きにする。そうしないと、他を認めなくなる。その状態が争いの種になっていると思う。何かが起こった時、何でもかんでも自分のせいにすると、精神的に耐えられない場合もある。だから、人のせいにするのか、それはそれで、不満と生きていくことになる。
確定させないことで、より原因を緻密に探れたり、自らを省みたりできると思う。まずは、原因など誰にもわからないという前提を持つ。その前提に気がついていないと、うまくいっていない場合、同じ箇所にずっといることになる。自らも、より良くなりたいから、また、そのようなことを考えるきっかけをもらったので、記した。ただ、この綺麗事のようなことを言えてしまうのも、衣食住が満足であるからと思う。
夜、ガボール・ザボさんのアルバムを聴いていた。やたらと沁み入る。また、夜のせい。進んだと思えば戻されて、私は波ですか、とも言いたくなる。
ひたすら、ひたむき、と言い聞かして夜を超える。
他に影響を与えるとは、本人がどれだけ没頭したかどうかなのだろうか、
2020/05/03
今日は2回散歩した、朝と夕方。
近所の別々の公園。平日なら気に止めることのないてんとう虫をみた。公園の端の方では子どもたちが4人並んで座っていた。内2人は鉄棒へと駆けだした。両手で棒を握り何やら懸垂を始めた、その様子を少し眺めていた。音楽を聴いて歩くと心がスッと軽くなる。最近の心の荒み具合は単なる環境的要因だったのか。youtubeでこち亀の作者の秋本治さんのインタビューを見た。没頭することの力をみた。プラスを積み重ねていた。とても創る人だった。
他に影響を与えるとは、本人がどれだけ没頭したかどうかなのだろうか、思わず齧ってしまうほどの果実が成る。
好きこそものの上手なれを考えると、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞が頭に浮かぶ。
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君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう
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