日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

本当の原因などわからない。

2020/05/04

 

本当の原因などわからない。それでも解決しようとしなければならないし、そうするのが良いと思う。原因は確定させるのではくて、仮置きにする。そうしないと、他を認めなくなる。その状態が争いの種になっていると思う。何かが起こった時、何でもかんでも自分のせいにすると、精神的に耐えられない場合もある。だから、人のせいにするのか、それはそれで、不満と生きていくことになる。


確定させないことで、より原因を緻密に探れたり、自らを省みたりできると思う。まずは、原因など誰にもわからないという前提を持つ。その前提に気がついていないと、うまくいっていない場合、同じ箇所にずっといることになる。自らも、より良くなりたいから、また、そのようなことを考えるきっかけをもらったので、記した。ただ、この綺麗事のようなことを言えてしまうのも、衣食住が満足であるからと思う。

夜、ガボール・ザボさんのアルバムを聴いていた。やたらと沁み入る。また、夜のせい。進んだと思えば戻されて、私は波ですか、とも言いたくなる。

ひたすら、ひたむき、と言い聞かして夜を超える。

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