日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

純粋、音で遊ぼう

純粋、音で遊ぼう

 

毎回、素敵なゲストの方をお呼びし開催しておりますイベントhave g good time ですが、今回は違った角度からイベントやってみようかと。
出演者が作ったビートやらでサイファーしてみます。タイムテーブルもみんなが集まって決める感じで行こうと思います。 

小さな一室ゆえにできる実験的なこと。音楽、求めること、純粋培養です。同じ人間、間口は広く、権威やメディア、商業にない音を求めたくて。アルバム出すし、しゃかりき営業をするつもりだけど、そことは違うオアシス的なサロンを創る。倒錯ではない、芸術の純度を高める。 

音楽は人間が織りなしている、というのはどうしても忘れ得ない。と、そんなこんなで、音楽を純粋にしよう。たまには、地位や名声から離れた音を、と考えてしまう時点で認められることに囚われているんだなあと、まじまじ思います。人間の持つ基本的欲求に素直と言えば聞こえはよろしいです。
表現の源はいったい、何なのか。忘れかけたもの、失っているもの、すでにあるもの。探しても見つからないものを追いかける行為か。まったく、尖りたいわけではないけど、押し殺したコンテンツに真実は有るのかと、思ってしまう。

自分の意見に悲観的過ぎるのが、悪いところですね。と、自分が他人なら自分に指摘する。嗚呼、音楽であそぼう。

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本質的なものの評価軸を社会に根ざしていきたい

還元

 

確実に変わっている。過去、思わなかったことを自然に考えている。流転。変わらないものもあるけど、変わるものもある。進化か退化か、不明なれど変化している。あの日見たすごい貫禄の大人、今出会えばどう感じるのだろうか、少しは大きくなれたのか。日々はいたって繰り返しながらも、優先度を後回しにしていたことに興味が湧いたりと、確実に何かが肉付けされている。


違いそのものではなく、その違いの使い方で真価が問われる。いつも揺れていたものが、揺れなくなりつつある。この人生を持って何を伝えられるだろうか。伝えるということは人間の最たる発明で、叡智に富む行為なように思う。

 

具体にまで落とし込めていなく漠然としているが、本質的なものの評価軸を社会に根ざしていきたい、という想いがふつふつと湧いている。しかし、それぞれが自然な在り方で生きて世が成り立っているとすれば、評価軸を作るというのはえらく不自然なものの投入になるのではないか。む、そもそも変化というのに自然も不自然もないのか。どちらにしろ、無常だから気にせずなのか。

 

また、物事をどう伝えるのか、人は賢いのか、愚かなのか。両面がありすぎてよくわからなかったり。ううむ、さらに目を凝らす。一個人の幸福と、世の中全体における幸福。誰かが笑えば誰かが泣くのか。理想、現実。悩ます、よりとかく行動。

 

いずれにしても、貰う側から与える側へと感覚が移っている。還元。この人生を持って何を伝えられるのだろうか。伝え方に工夫を凝らさないと、独り言の青天井。

感覚を感覚以外と呼ぶことが難しく、抽象的な拙い文の羅列に汗顔の至り。

  

「ユーモアを忘れたリーダーは破滅への階段を登った」という今自分の頭に浮かんだ一文を自分で噛み締めよう・・。

なだらかな自慰行為にて今日は失礼いたします><!

 

(2018年・東京)

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「1トラック 3000円」 ビート屋さん、始めるにあたり

ビート屋さん、始めます

 

ビート屋さん、始めます。

創ること、芸術がああだこうだと考えては、このブログに書き殴ってましたが、数年を経て、自身の作品を発表していこうと自然と思うようになりました。

自分の場合、行動を取る時は最終的には直感であります。「今がこうする時!!」みたいな・・大袈裟に表現してしまえば神の啓示的なものが到来します。

普通に言えば、身体が勝手に動きます。

 

ビート、ひとつ3000円としました。

soundcloud.com

 

お金と作品の関係について。商業的なことと作品は完全に別と考えているのですが、これまた創作をはかる数値というものが存在しない。「どれほどの価値があるのか」を測るときのツールとして、真っ先に「お金」が浮かんだ。

創るときに「これで儲けまっせーー!うひゃあ!」と考えたことは一度もないけど、作品が出来てしまえば、作者から誰かに渡るものと考えている。資本主義の国で生きてきたためか、芸術作品も消費者が選択できる商品のひとつというのは頷ける。

 

値段をつけたい理由として、値段がついていないと「価値のないもの」として、受け取られる気がする。人間関係でも自分を押し殺して「いいよ、いいよ」と自信なさそうにしていると、相手の欲求が強くなる。弱い人に強く当たる「弱い人」を目撃したこともある。切ないけど、その人を変化させるのは不可能に近い。パワーバランスが大切になってくる。

 

創作と資本にもそういったバランスがあるように思う。

自分がauly mosquitoという団体を立ち上げた理由に「芸術というものが、もうちょっと世に取り上げられてもいいのではないか」というのがあります。なんだか、曲解されて受け取られているように感じる。芸術に興味があるという主観的な価値観ゆえにどうなのかなと思うときもありますが、そこは自分の感性を信じたいところ。

 

世の中に対して不満を持っている人が、報復として犯罪に走るニュースをたまに見かけます。その不満や不安は創作の源になるのではないかと思います。犯罪ではなく表現に走れば、悲しい出来事も減るように思う。レベル感は違うかもですが、買い物してストレス発散、同僚と飲んでストレス発散、と同じように創作してストレス発散、というのも有りかと思います。

将来的には、創作を通して社会に何か還元できたらなあと思いつつも、まずは自らが認知されなければ。

 

ビートの購入の仕方的なインフラについては整備中です。

ビートが売れたら、機材買う貯金に回します。それでまた、違った音を作ったりといい循環にできればなあと。

ひとまず、soundcloudさんを視聴機としました。まだ、ふたつしかアップしてませんが、日々更新していきますので、視聴して気になった方は sasaworks1990@gmail.com までご連絡ください。ビートの使い方はなんでもありです!!!

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歌い手さんとかだと、ジャンル問わずかっちょいい曲とか一緒に作れたらスーパー嬉しいです。ビート卸していきます。なにとぞ、よろしくお願いいたします。