どれだけ知れば世界を理解できるのだろう
いざ、宇田川ジャムロックへ
昨日は、渋谷のnatural vybzのパーティに行ってまいりました。natural vybzの音がパワーアップしていた。音が深くなっているというか。超かっこよか。なにより、自分たちの道を邁進している感が刺激になります。
色々なところに行ってみると、「自分」というのは関係性の中にあり、相対的なものでしかないと実感を持って感じられた。自分にとっては「普通」も、「普通」でなかったり。なんでもない「当たり前」が人から見たら個性に見えたりと。一人で盲目的になり感じたことも、人の中の関係性に目を向ければなんでもなかったり。
パーティのオーガナイズの仕方とかも素敵で楽しませてもらいました。久しぶりにドーラちゃんに会えたりでいい一日になりましたと。リリースおめでとうございます。
(バナナを持つバナナちゃん)
(naturalvybz自前のスピーカー、めっちゃつまみあるけどどういう効果なんだろう)
「あんた、久しぶりやな!会えてよかったわ。これ私の気持ちやから受け取って」帰り際ドーラちゃんはそう言いました。手を開いてみると、そこにはまん丸な粘着テープがありました。
世の中を様々な角度から見つめ続ける。その時、自分がどういう行動をとっているのか。ある意味、消去法的なのかもしれないが、そこに思想が育つのではないか。政治、ビジネス、宗教、芸術、環境、科学、考えることはたくさん。どれだけ知れば世界を理解できるのだろう。
作品を出すのにも、いろいろな形がございます
作品の形態
作品を出すのにも、いろいろな形がございます。
と思いましたのも、釈迦楽くんが、面白そうな試みをされていて興奮。
【PART 2 STYLE MAGAZINE 創刊!】
— 釈迦楽 / SHAKARA (@Boom_shakara) 2018年9月26日
〜2018年9月号 スタジオワン特集〜
2018.09.27 out 🤮🤮
およそ50年前の音源を含むジャマイカ音楽史上最重要レーべル”STUDIO ONE”の音源と、そのB面(カラオケ)に、日本人レゲエアーティストが新たに再解釈し制作した楽曲を乗せる”PART 2 STYLE”のミックステープ。 pic.twitter.com/bL5Duw3Ka0
なんかKAKATOさんがフリーで出してたKARA OKというアルバムを思い出しました。
KAKATO / KARA OK - レビュー | Rooftop https://rooftop.cc/review/music/120106181646.php
あえて主題やテーマを決めて、ひとつの観点から作品を創っていくのも、つくる人にとっても、聴く人にとっても斬新。
パパッと無料やらで配信できたりする時代だからこその面白い出し方ありそうです。
創作は全て借り物といえば借り物だし、カバーにしろ、サンプリングにしろ、良い音は形を変え蘇るものですね。ロマンです。
こういう面白い動きは、いち音楽リスナーとしてぜひ広まってほしい。と思ったり。
音楽の聴き方も年代縛りやレーベル縛りで聴いていくと、面白いと思います。
「へぇ、ここはこういう感じなんだぁ」とかなんでもない感想を持ちながら、楽しめそうです。ババッと浮かんだら何かやりたいものです。
アルバム制作 進行中
はてさて、私の状況ですが、録音が終わり、しばらくビート作りに励んでいました。
計50トラックくらいは完成したので、どういった形かは考え中ですが、選抜してビート集として発表していこうとか考えております。
「笹谷創」にしか作れないものと自負しております。(良くも悪くも!)
「その人にしか作れない」という一点にこの3年ぐらいをかけたフシもあります。年明けたぐらいから「またかよ!」と思われるぐらいゴリゴリと作品を発表していきたいと思います。
自分の曲のアルバムのジャケットも依頼中で、ただいま進行中です。
人の心を打つような作品になればと思う次第です。
実り多き、箱根ノ旅。
箱根ノ旅
箱根といえば温泉だ!という、間違ってはいないけど、ど直結なイメージしか持っておりませんでした。今回のちょっとした旅で少しは知れました。
源泉という自然が作り出したものに対して、人間が工夫を凝らし恩恵を授かる。人間と自然、生かし合っていると感じた。互いに傲慢になることなしに、共存を選んだ土地で素敵。
また、箱根には博物館的なのや美術館的なのが多くあった。その中で、火山灰の結晶が顕微鏡で覗ける場所があった。火山灰を普段見かけることはないけど、結晶があんなに美しいものとは。
火山灰に限らず、その辺りに生えている木や草花を、人は見ているようで見ていないのではないか。
例えば、住み慣れた家の中でほふく前進をしてみると周囲の景色は変わる。視点の切り替え。そういった感じで葉などを間近で見てみると、いつもと違う見え方。見え方というものは改めて、人間目線であり、目の場所に依存している。
間近でみる、遠巻きでみる。
そういった意味でカメラというのは便利で、手を動かせばズームになったりワイドになったりする。顔をめっちゃ葉に近づけなくても、カメラがその役割を果たしてくれる。
その気づきは私を加速させ、気がつけば葉の写真ばかり撮っていた。
自然に生えている葉なのに、切り取り方によっては、とても美しい。草や花は雑然と生えているようで、模様ということを考える時の根本的なものなのかもしれない。
箱根が教えてくれた人間と自然のバランス、撮影者(私)と被写体(葉)もそういう関係でありたい。
そして・・「葉」の写真集出したいと思った。
と、まあ、張り切って、論じてますが、、、なにより、嫁ちゃん、ありがとう!^^