日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

いくら通り過ぎても、等間隔の外灯は夜を白白と写す。

深淵な夜に

 

美しく化けるのか。ありのままの毎日を綴るのか。

淀みなく出てくる言葉。主従にどのくらいの美しさが埋没したのだろうか。

私は泣いた。私は笑った。シンプルな文章の力強さ。装飾は至る所で誤解を生む。また、近寄りがたくもある。

 

ひとつの地点からの懊悩もそれを覆った視点からは枯れている。その二つを見比べても湧き上がらない情感。そこには秘密がない。だけど、主軸もない。そこはかとなく解放された黄色は暖かい。平凡な日はメロウ。風琴を単音で鳴らせば、儚くとも上下に揺れる。

 

等間隔の外灯は夜を白白と写す。細分化し、組み合わせ瞬く間に散っては消える。言葉とはそのようなもの。選択の数だけの才能。アスファルトに無作為に行き交う足。その中心点を見つめる目。幻聴と汽笛が誰を呼ぶ。瞬時のフラッシュバックも、あくまで直感的。引っ掻いては通り過ぎる。物語が円く囲う。平坦な道すがらの草花を摘む。夏は終わり、次へと流転する。

 

何処から噺をしようか。人は光るものへと吸い込まれる。そして、穂の先に綴じられ、叩かれる。最後に振り返ろうと嘆願する。生活は辟易の連続。ゆえに、鬱勃した言霊は霹靂だ。感覚の工作がいつも自我を模る。

f:id:sasaworks1990:20170713010629p:plain

 

 

10年ぶりくらいに会った友達の話。前を見ている人と話す時間はいい時間。

ひさしぶりの友達にあった話

 

些細なボケのつもりのやつがスルーされたら、「なんでこの人こんなんゆうんやろ」と思われていると些細なボケをした側は感じてしまうものです。

その真相は誰も知らない奥底に、自分さえもなかったことにするほどに埋め込まれます。

  

週末を刺激的に過ごしていると、ブログの更新を怠っていた。刺激を受けた週末にこそ、書き綴らなければならないのに。怠惰。

 

金曜日はひさしぶりに土井ちゃんとゲンとみなみちゃんに会った。

ゲンとかみなみちゃんは10年ぶりぐらいになるのかな。

ただ飲みに行くだけなのに、会う前の妙な高ぶりと緊張感。大人になっている部分もそのままの部分もたくさんあった。みなみちゃんとか呼んじゃっているけど、高校の時にほぼ話したことがないように思う。

 

すところどっこい、すごくチャーミングで素敵な方でした。大人になってからでも全然、仲良くなれるのね。たわいもない話やら、熱い話やら、お釈迦モードやら、転職やら、ニューヨークやら、恋愛やら、仕事やら、色々話した。

 

みんな目ん玉が前についている。未来を考えている人と話すと清々しい。いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもない。月並みな言葉がぞくぞくと浮かぶ。

よく言われる言葉は、よく言われるから残っていく。ダーウィンの進化論的な・・。

 

もっと大人になれば違うお酒の味になるのでしょうが、今は今の味を噛み締めていく。過ぎ去ったものは未来への投資で、ぼんやりと灯る場所に連れていかれる。

 

東京の街も悪くないなあと。なかなかに感慨ぶかい1日になりましたとさ(´Д` )b

 

そして、昔を懐かしんでいると、成人式の写真を発見。ゲッツをしているのでしょうか。(恥) このころは何を考えていたのでしょうか。今となっては知る由もありません。そして、眉毛ほそっ!!!

 

f:id:sasaworks1990:20170713090523j:plain

「離島に行く計画をひそやかに立てる!」 そして、ユビキタス社会の恩恵を受ける。

離島に行こう

 

離島に行こうとなって、必死にパソコンで探しています。すぐパソコンです。ユビキタス社会ど真ん中を闊歩しています。離島と言えば、石垣島やら西表島なのか。久しく旅行もいっていない。色々と行ってみたいなと思いながら、前回いったのがいつなのだろうか。

 

東南アジアに仏教を触れる旅にも行ってみたい。良い経験なりそう。物理的な意味でも、世界の広さを肌で感じたいのだ。外ばかりに目を向けて畑を耕し忘れるのはあれだけど、ふらふらと旅に出たい。

 

旅行の場所をぺちぺちと調べていると、逆に埼玉県に行くのもありじゃないかと思えてきた。埼玉県民になって2年くらい経つけど、埼玉の名所、一つも言えない。近所にある「餃子の満州」が美味しいぐらいしか言えない。(写真はお手製の塩焼きそば、2013年作)

f:id:sasaworks1990:20170707003055j:plain

 

渓谷を攻めるか、秩父を攻めるか、はたまたガリガリくんの工場を見学に行くか。

ぬぬぬ。。

 

そして、島ってどんな歴史をたどって来たのだろう。国同士の土地争いの対象の歴史なのか。島といっても色々あるけれど、どんな民族が住んでいたのだろうか。風習はどうして生まれたのだろうか。風習も権力を集中させる為に、生まれたのだろうか。基本的に解明出来ないことを神頼みにして、それが風習となっていくという流れなのだろうか。

 

いつも、疑問ばっかり。つらつらと綴ると疑問系で終わってしまうんです。

遠いところに想像だけでテレパシーを飛ばす。そう、曖昧なままの方が情感が膨らむこともあるんです。最近、Youtubeでサイエンスチャンネル見てますが、なんと便利な世の中だ。ユビキタス社会ど真ん中。(2回目)

 

f:id:sasaworks1990:20170707002950j:plain