心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

経済にしろ、空気にしろ、回そうと考える「おもてなし」があらゆる根本なのかもしれない。

 2019年07月13日


自分の想いを吐き出す、尊い行為。慮る大人を前にすると、「浅ましい心」が洗浄される。現在、挨拶して「アルバムを聴いてください」というもはや行脚的な行為を実施している。でも、本当はそういうことじゃないと思う。お金が手段であるように、今の行動が手段のままであるように。

 

手段が目的になった瞬間、表現は死ぬ。そのことについては、異常なバイアスがかかっているとは理解している、傾倒のバランスがおかしくなっている。ふと、今日、話した人が言っていた。思いを吐き出すその行為自体の美しさについて。今は生活だから、資本主義へと寄っているので、故に、そういうのを大切にできるように。こういう時こそ、おじいちゃんの言葉を忘れず、サイレントマジョリティ、客観性に収斂。

 

LIVE DUB JAM いい経験させていただきました、ありがとうございます。政(まつりごと)は個人で成せるものではない、経済にしろ、空気にしろ、回そうと考える「おもてなし」があらゆる根本なのかもしれない。

 

今日買ったなのるのもないさんのCD。大切に聞きたい。楽しみ。

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