心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

やたら簡略化して、創るのはただただ知ること。

2019年7月11日

 

入出力。関数。原因と結果。

1に1を足すと2。単一なそれぞれの1をプラスして、2という結果を導いた。
お腹が空いたので、リンゴを食べた。この場合、「ので」が順接の接続詞で+の役割を果たしている。「ので」にしろ、「+」にしろ、抽象化している。世の中、記述的に読み解くと、意外とそういうシンプルなものの積み重ねのように。


可動域、それは幅があるもので、言い換えれば、制限。
性質を読み解いていくと、やがてそれらの点は線となり作品に現れるのかもしれない。社会的な立ち位置を得る行動を取るけど、とかく知的好奇心を枯らさずに。知ろうとすることが原点。ゼロ。

 
ライブはコミュニケーション。とか思ってたら、叩きのめされた、音楽、演奏。kiyasu orchestraさんを観た。あっ、次元違う。もはや、音楽的な答えを見させていただいたような。いち、音楽する人として近づけるように。道は果てしなく遠い。

創ることはまた別の問題で、やたら簡略化して、創るのはただただ知ること。

複製・創ることはまた別の問題で、やたら簡略化して、創るのはただただ知ること。_2

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