心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

そんなしけた顔してどうした。力になれるならなりたい。

執筆しているという意識もなく言葉を綴らせていたのは悲哀や感覚だったのか。満たされた感情は次の言葉を消していくのだろうか。心に溜まるものもない。すべてはするりと流れていく。心象は形を変えて表現となるはずが。

 

それを淀みなく循環させることは、つまり、インとアウトの交差する点に居ること。統合されてひとつの、そのもの自身がそのものになる。栄枯盛衰、資本主義をなぞらえた上での結果は死ぬ直前にどういう作用をもたらすのか。

  

世は移る、人は移る。
うつりゆくその中にいるならば、まだ見ぬ世界へと、

人々と感情を共有しながら、没入していく体験に価値を感じる。

 

そんなしけた顔してどうした。
力になれるならなりたい。

 

心象記2

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