心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

曖昧という魅力

曖昧という魅力

 

せわしなく、共有されている時間だけど、恣意的で。大枠を掴めば、曖昧に広げられる世界。曖昧とは恐ろしいもので、質を下げる場合もあれば、可能性を感じさせるものでもある。


こんなに長と短を兼ね備えた定義はあるのか、といえば、完成されすぎたものの魅力とは。受け手に「余り」を与えるのが、芸事ではないのか。その余りを自由に謳歌できるからこそ、ファンになったり。隙間がないと、息がつまりそう。もしくは完膚なきまでに形式にはめるのか。

  

空気ではなく形式にはめられたかどうか、それが反省点となる世界。不思議だ。無駄な矜持かもしれないと知っているが、それをなくしてしまえば、創ることに携わる意味さえ失いそう。
究極の主観、いつか客観へ。具体性発、抽象性着。戯言がすらすら出るほど、周囲の方のおかげで様々な考えや感覚を得られる。それは、理屈抜きの幸せだ。思い出した。

昨日、ふと撮った朝焼けが綺麗だった。

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