独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「その瞬間」 一場面に・・。

その瞬間

 

冒頭。残された表現手段。
窮鼠猫を噛むかのごとく、押し並べて残るもの。理論的な意味ではなく、感覚において選択肢がない。ならば選んだものを遂行するのみ。そこに危険が潜んでいることは理解しているとして、曖昧の素晴らしさを説けども、もはや効かない。それは先天的であるのか、環境が作り上げたのか。

   

本編。歓楽街とまではいかないまでも、週末になれば賑わう町。ダイヤルボタンをひとつ押せば電波は別の街に届く。喧騒を作り上げる週末。行き交う人々は楽を噛み締め、表情をほころばせる。私は角ばった頬のせいにして早足に町を抜けようとする。素直さを認めない私は「この楽しそうな町もあらゆる杓子定規をはめ込んだだけさ」とひとりクダを巻く。

「人生は区画の連続であり、どこに属しているかを知るとは不幸だ」
「半袖を着ている中年達はクールビズの枠内だよ」

自然の天候をも絡める屁理屈は止まらない。そうやって口を尖らせた私に関心がないと思われる女性が歩いてくる。首が細く髪をくくっているせいか、おとなしそうな彼女のうなじは特別なもののように思える。「無があってこそだ。おおっぴろげな美は悪だね」とめどがなく節操がない。

 

女性は私を一瞥し、穏やかな表情を浮かべた。本能が蔓延る競争社会に飲まれそうであり、また、艶やかな雰囲気である。いつの時代も変わりなく、憂いを帯びた瞳には吸い込まれそうになる。

 

欠けた月が美しいと知ったのはその頃からだ。意識は敏感になり、見るもの全てを振り分けていた私はいなくなった。女性が私の横を通り過ぎた。時間は移り変わり、ほんのりと街は静寂。

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今日の一曲

 

ジャズ・ウォリーアーズさん。なんか癒し系。

1987年のデビュー作だそうです。後半の疾走感がカッコ良いよ。掘れば掘るほど、音楽は楽しい。

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