日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

最近、音楽について

音楽について

 

赴くままに、ビートを作っていると心の根が噴出されるのでしょうか。創作のためのパターンを増やしていきたいが、自然に作った音こそが自分がやる音楽なのだろうか。 

soundcloud.com

 

ジャンルという枠ではなく、個人として世界を創造する作業。やるなら有りっ丈の熱を込める。と、言いつつ、もっとメロウで聴きやすいビートを作りたいとも思う今日この頃。サンプリングという手法を用いるべきなのか。そんなことを考えつつ一週間ほど人様にお会いしていない。なんとなく過ぎる時間、消費するための行動ではなく熱中していたら消費していたという感覚。刹那のみを求めてはやがて瓦解すると理解し、それでも平坦ではなく。形にしたいという欲求の上の工程に寄りかかる。本能的な好きなものと火種が欲しい、渇望。

 

焦燥とも枯渇とも得体の知れぬ、何かを引き連れて。歌詞やセリフに使用される「何か」という言葉に魅力はないのか。表現者は有り余るその「何か」を紐解いていくべきなのではないだろうか。より明確に、ひとりの力というのはちっぽけだけど、熱を注いだ時間は全然、悪くない。醍醐味。

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昨日は家でジャニス・ジョプリンさんのドキュメントを見ていた。圧倒的、歌唱力。

社会から認められなかった彼女が唯一、認められたのが音楽。その後は大躍進、そしてドラッグにより27歳で亡くなったそうな。映像含め、心を捉えて離さない。

忌野清志郎さんのライブを見た時と似ている感覚。ロックとは何か悲痛の叫びといったものを感じる。反逆性に惹かれているのか、とにかく歌に感情が乗っているとはこういうことと感じた。

 

Janis Joplin/Summertime

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